悪銭身に付かず
「ころがし」って何だろう?
競馬の「ころがし」である。球を転がすではない。
競馬のレースが的中してもその当たった配当金をそのまま次のレースにつぎ込む。
再びレースが的中したら、その配当金をさらに次のレースにつぎ込んで金を増やす。
雪だるま式に大金に育て上げようっていうことだ。
何のことはない。ギャンブラーの金銭感覚そのものではないか。
「悪銭身に着かず」
そんな言葉がしっくりくる。連続してレースが的中するわけがない。
外れてまた一からやり直し。的中しても儲けたお金で次のギャンブルに突っ込む。
そして外れてさらに金をギャンブルに突っ込む。そして貧乏になる。
ギャンブラーが的中して得たお金を大切に使うはずがないのだ。
そもそもお金を大切に使うことはないのだ。
私は場外に馬券を買いに行かされ続けてさすがに疲れてきた。
そして場外を行き来しているうちにふっと思いがよぎった。
「私は何をやっているんだろう・・・」
と。場外での醜い光景を見てきた私は更に思いを強くした。
そして決心した。競馬の電話投票をやろうと。
電話投票を行うために指定の銀行口座を開設した。
手続きをした。携帯電話から投票できるのだ。
これで電車に揺られて場外まで行かなくて済む。
馬鹿な
!
読者は思うだろう。富永と縁を切ればいいじゃん、と。
普通はそうだ。頻繁に場外に馬券を買いに行け行け言われているうちに目覚めろと。
場外の醜い光景を目のあたりにしても目覚めないのかと。
いや、半分は目覚めた。ギャンブルなんてろくなものではないと。
愚かなことに私自身、宝くじみたいに万馬券が出ることを夢見てた。
だから競馬をはじめとするギャンブルに白い眼を向けつつも金が欲しくて
宝くじみたいに毎週千円程度を賭けていた。
富永の競馬に対する騒ぎ方を見て内心うんざりしていたのは事実だ。
普通なら縁を切る。ギャンブラーだらけの職場から逃げ出す。
転職の勇気がなかっただけだ。富永の「本性」は後から出てくるんだけどね。
そして地獄を味わうはめに。
富永は「ころがし」をやろうと職場の競馬仲間に号令をかけた。
皆でお金を出し合って皆で競馬予想して大金にしようと。
「安月給の仕事だから、せめて競馬で夢を見ましょうよ」
かつて富永は皆にそう言っていた。ギャンブラーの愚かな金銭感覚は既に述べた。
金を大切にするわけがない。当たっても当たってもギャンブルにつぎ込む。
ただギャンブルをネタに騒ぎたいだけだ。
結果。その「ころがし」で大金に育ったか。NOだ。
外れ続けて、たまに当たって金が増えたがさらに突っ込んで外れてゼロ。
その繰り返しだった。
さらに富永は競馬仲間で順番に「コラム」と称して仲間内でスピーチをするように号令をかけた。富永は異常な騒ぎ方をするようになっていった。
富永から逃げなかった私も私だけどね。