ブログ終了に向けて⑨ ライトノベル論
このブログもあと1~2回で終了する。
いや、そんなに回数も重ねないかもしれない
壊れたスピーカーのように同じことを書く。
私、siroukiiというみじめな人生を歩んできた男の愚かな半生を白日の下にさらけ出すことにより反面教師となり、自ら教材になり、自分や自分の周りの人達を幸せにするヒントにしてほしい、と願ってきた。
自分自身も長年たまってきた鬱憤を吐き出せた。だから満足だ。
自分の書いたブログを改めて読み返してみる。
本当に惨めで情けない人生だったし、壮絶で地獄のような人生だったと。
本当に屈辱的な体験ばかりだった。
こうして私は壊れていった。歪んでしまった。
そうなってしまったのには訳がある。
人を見抜く目がなかったこと。
嫌なものは嫌だと言えない性格だったこと。
境遇を変えるべく行動する力がなかったこと。
耐えるだけが取り柄の人間だったこと。
もちろん、自分の努力不足でもある。
だからいじめを受けてしまったのかもしれない。
だからこそ読者の皆さんには私を踏み台にして幸せになってほしいと願う。
このブログも目的は果たした。
私は今、ライトノベルや異世界モノの小説や漫画を読み込んでいる。
つい最近始めた。
ライトノベルは書店の小説コーナーではかなりの比重を占めているくらい人気だ。
私自身、現実逃避ももちろん兼ねている。生まれ変わりたい願望は強烈にある。
そして度々言及してきた小説の件。かなり概要が煮詰まってきた。
近く執筆し始める予定だ。
長く時間をかけて構想を練ってきた。小説指導本を購入し読んだ。
だから参考にしたいという理由もある。
やっぱり書籍化されている作品はどれもクオリティが高い。
書き上げた作家さんには敬意を払いたい。
小説投稿サイトで晒す以上、しっかり書き上げたいし私の過去の教訓を生かした作品を書きたい。
既に18禁小説も書いていると述べたけどその作品も私の思想が練り込まれている。
私自身が叶えられなかった性欲の発散も兼ねて。
18禁PCゲームだってヒロインをつくりあげるタイプを選んで遊んだし。
最近は小説執筆の更新が遅れ気味になっている。汗。書き上げねば。
まぁ、私は作品としては現代劇としたい。
惨めな人生からやり直そうという作品は多数あるが
作品の舞台が現代か時代劇か異世界かの三つに分かれる。これは議論があると思う。
読者視点で考えてみる。
①自分の人生が惨めだったからこそ、別世界である異世界や時代モノですっきりしてやり直したいという考え。現代だと惨めな自分と重なってしまうから。
②自分の人生が惨めだったからこそ、やはり現代でやり直して人生リベンジしたいという考え。
どちらの考えも間違ってはいないし、正しいと思う。
私としては②かな。だから現代劇としたい。
作家視点で考えてみる。異世界モノは登場人物を縦横無尽に動かして大活躍できる利点があるだろう。世界を自分で作ればいいんだから。ハチャメチャな働きだって可能だ。法律や法令、慣習、時代考証など度外視でいいわけで。現代や時代モノではそうはいかない。その筋の専門家や歴史家からこの描写は違いますよとクレームが来るし。登場人物の活躍範囲も異世界モノに比べれば制約される。もちろん異世界モノはその壮大な世界を一から作り上げるという膨大な作業と力量が必要だ。決して楽ではない。
時代劇は歴史に詳しくないと話にならない。
現代劇だって先程も述べた通りに法律や法令、現代の慣習を誤って描いてはならないし。
作家さんには頭が下がる。
小説投稿サイトが存在しなかった時代の作家は大変だったろう。
出版社に脚を運んで編集者に読んでもらって没を貰うことも多かったはずで。
とにかくこのブログが終了しても私の苦い経験を発信する活動は続くのだ。
まだ閉鎖はしません。私の情けない過去を見て反面教師としてほしい。