ブログ終了に向けて⑧ 占い論
あけましておめでとうございます。(今更だが)
ブログの過去記事を読み返してみると改めて思う。
異常な連中に絡まれ続けて壮絶な体験をしてきたと。
この体験は糧になる(わけないか)。
今日のおさらい。
私はずっといじめを受けてきた閉塞感から占いに嵌ってきた。
ひたすらいじめを受けるという、どうにもならない状況を占いによって打開しようとした。
初詣で必ず買ってきた暦本を読み込んで占いや風水、方位などに興味を持った。
毎年、暦本を買ってきては方位やら運勢やらを調べた。
今年の暦本も一応は購入した。
多少ではあるが占いや風水に詳しくなった。
方位(気学方位・奇門遁甲)、家相、地相、墓相、印相、九星、姓名判断・・・
姓名判断で私の名前の画数が悪いと愚痴をこぼして親に叱られたこともあった。
占いや方位の本を買いまくった。
私の若い時は旅行に行きまくった。現実逃避を兼ねた開運を祈って。
まずは気学方位で。
旅行先ではそれぞれの方位に合った行動とやらをやりまくった。
温泉にのぼせる直前まで長湯した。
で、開運したのだろうか?女性と出会いはあったのだろうか?
ノーである。
むしろ、旅行先で財布を取られるトラブルに見舞われた。
開運した実感などまるでなかった。
やがて気学方位は迷信との結論に達した。
そして気学方位とはさらに難しい奇門遁甲で実践した。
方位別に〇✖△で示された分かりやすく書かれた書籍で方位を割り出した。
この時間帯でこの方位で・・と。
旅行にも行ったし、15キロの距離を汗だくになって歩いた。
外出するにも奇門遁甲を応用した。
で、開運したのか?
ノーである。
今では気休めのつもりでしかやっていない。たぶん迷信なんだろうけど。
不運に見舞われないように活用?している。
何かにすがりつきたかったのかもしれない。
そう。
私は占いだの方位だのよりも先にいじめを回避するとか、人を見抜くとか、悪い奴らに舐められないようにするべきだったのだ。努力が足りなかったのだ。
若い頃、相談しに行った占い師からはボロクソに言われた。貶された。
情けない。当時はとても悔しかったが仕方がない。
後悔先に立たず。
この手の話になるとどうしても説教臭くなってしまう。私自身後ろめたい。
わたしは馬鹿だ。