私が占い・風水・方位・宗教にはまった理由①
過去記事に何度も書いてきたけれど
改めてこの話題を書いてみたい。
「あなた、因縁重いね」
と私の幼少期にある女性から言われた言葉。
それが引っかかっていて
凄惨ないじめを受けて自分の運命を変えようと
それら占いや風水・方位にはまっていった。
きっかけは初詣の時に親が買ってきていた暦本だ。
「平成〇〇年 運命ナントカ」と表紙に書いてある本だ。
小さい時にはパラパラと読む程度だったが
年月が経つにつれてしっかり読み込むようになり
大学入学前にはかなりのめり込んで熟読していた。
暦本には生まれ年による九星の分類とか
年・月・日の運勢とか方位とかが〇・◎・●などの分かりやすい記号で示してあった。
また家相、地相、墓相、印相、易、星座占いなどの記事も記載されており同時に読み込んだ。
姓名判断も同様であり氏名の画数の吉凶とかや偶数奇数の配置についてとか知ることが出来た。
いじめを受けて悩んでいた時、自分の名前の画数が悪いと感じてそれを親に打ち明けたら叱られたけどね。(当たり前か)
おかげで素人ながらも暦本を読み込んできたおかげで、表面上であれど占い風水方位に詳しくなった。それ関係の書籍を何冊も買い込んで読みふけった。
「西に黄色」とかいう今は競馬の馬主をしているという占い師の本も購入した。
私がいじめを受けずに良い友人に恵まれて彼女も作れて・・そんな人生を歩んでいたら占いや風水、方位に関心を持つこともなかっただろう。
その上で確信を突く。
「それで人間関係が改善しましたか?」「彼女作れましたか?」
いや、人間関係改善しなかった。彼女作れなかった。
むしろ悪い輩とばかり知り合って結局みじめな結末を迎えただけだった。
家相、地相、墓相、印相、姓名判断・・・・
それらはもう「あきらめた」。効果なんて信じられなくなってきた。
今実践しているのは方位と易くらいのものだ。
しかしそれらも「気休め」くらいの感覚で昔ほど信じていない。
画数が悪いから改名は裁判所も認めないだろうし困難だろう。
家相・地相・墓相も建て替えたり引っ越したりするのにどれだけの金がかかる?
印相?開運印鑑を取り扱っている印章店で購入して保有しているものの、このザマだ。
星座占い?朝のテレビでやっているのを少し見ているだけ。
テレビ自体は私はもう信じてはいないが。
方位?若い頃は歴本に書かれている〇◎の方位に旅行に行きまくった。気学方位ってやつ。仕事が連休の時とかは必ず他都市のビジネスホテルや一人でも泊まれる温泉旅館に泊まったりした。
で、効果はあった??
効果なんて実感できずにいる。むしろ吉方位とされていた方位に出かけたのに旅先で悪い女に財布を取られるという事態まで起きた。美味しい思いなんて一切していない。
犯人の女はいまだ捕まっていない。何のための開運旅行だったのか。
気学方位について書かれた書籍では、この方位に旅行に行けば恋人ができるとか金が入るとか健康になるとか
うまいことが書いてあった。
そうそう、その本を頼って相談しに行った先で私は著者に罵倒されたのだった。
だから今は気学方位はやめて奇門遁甲という複雑奇怪な方位術を気休めに使用しているに過ぎない。もちろん、その複雑怪奇な奇門遁甲の方位でも〇◎×のような分かりやすく解説した書籍なら今も持っている。
外出先の方位とか旅行の方位とかを奇門遁甲で割り出している。
もう期待していない。人生諦めている私にとっては。「気休め」で利用しているだけだ。奇門遁甲による方位効果はあった?分からない。
易だって判断に迷ったときは占っている。筮竹を使って本格的に占うのではなくサイコロやコインを使用している。やはり判断ミスが怖いのだろう。それほど過去の失敗はトラウマなのかもしれない。
自分で言うのもなんだけど私の過去のいじめや人間関係で苦しんだのは
やはり「自分の努力不足」ではなかったのか。
まだまだ努力不足を棚に上げて占いや方位に頼ってしまったからこのザマではないのか。
私は努力教の信者ではない。しなくてもよい無駄な努力はしない方がよいとは思う。
私はむしろ努力努力と偉そうに講釈垂れる人間にはあまり良い感情を抱かない。
努力が必ず報われるとは限らないし
努力しようという気が削がれるくらい痛めつけられている人も多かろう。
その気持ちは経験者としてよく分かる。
しかしそれでも私の努力不足は明らかだったのだ。
過去のいじめなどは私の努力不足が招いたのかもしれない。
もう少し努力していれば少し違った過去があったのかもしれない。
そこは認めざるを得ない。