いじめと人間関係で人生狂った男のブログ

私を反面教師にせよ。青春と人生を無駄にするな。

やっと富永と縁が切れた。

タイトル通りである。

富永からのしつこいアプローチを耐えに耐えて完全無視してやっと縁を切ることが出来た。

「siroukiiさん、電話代がもったいないのでこれで終わりにしますわ」

みたいなメールが来てそれから音沙汰なしであった。

長かった。数年はかかったのだろうか。正月でもメールを送ってきた。

「初詣なんて行かせないよ」

奴はひたすら自宅前を徘徊していた。送り付けてきたメールには必ず自宅の写真を添付してきた。車があれば家にいるだろ?車がなければどこへ行っているんだ?

うんざりだ。でもそんな生活とはもうおさらばだ。

代償として相当な人間不信とまではいかないが

相当な人間恐怖症になってしまったことは確かだ。

元々おとなしい性格が余計におとなしくなり無口になり一人を好むようになってしまった。顔見知りが激しくなった。

そのくせ、恋愛欲はあった。しかし長年によるいじめ被害からのコミュニケーション能力が削がれてしまったため、恋愛も婚活も成功するわけがなく。

恋愛や婚活の話はまた後に記事にして書きたい。

あれから富永とは本当に一度も会ってない?

いや、二度だけある。

一度目は社員旅行の時、一緒の班に富永がいると聞いて嫌な予感がした。

介護施設は職員を常時施設に置いていないとダメなので何班かに分けて旅行を行う)

夕食宴会の時、くじ引きで着席するテーブルを決めるのだがなんと富永と同じテーブルになってしまった。隣の席ではなかったのが幸い。この時も含めて私は富永から逃げた。口もきかなかった。

 

二度目は私は系列の施設に手伝いに入るように命じられた。介護は人手不足だから。

そこで富永とばったり会ってしまった。施設の外で。

「また会いましょう。坂野さんも気にしていますから」

と言われたが無視して逃げた。坂野さんとももう会ってない。

富永は以前とやや風貌が変わっていることに気づいた。

黒縁眼鏡をかけていた。やはり年月が経ったのか。

その日、社員食堂で昼食をとっていると空いている私の隣の席に富永が座ってきた。

私は反射的に残りの飯をかきこんですぐに立ち上がり食器の返却場所に急いだ。

振り向かずに社員食堂から出たので富永の反応は分からなかったが。

 

それきりもう奴とは会ってない。こんな異常者とは完全無視がてっとり早い。

富永が異常者というエピソードを一つ。思い出したがやはり屈辱的な思い出だ。書こうかと悩んだが読者の皆さんには私を反面教師として頂きたい。それがこのブログの目的だ。ネットだからこそ恥のような思い出も書けるから。

だから書くことにした。

富永と一緒の施設で働いていた時のこと。

某男性職員二人が退職することになった。

ある日、富永と私は一緒に夜勤をすることになっていた。

夜勤の仕事も一息ついた時、私は富永にある「強要」を受けることになる。

何か。それはオムツを履くことだった。

利用者でもないのに?早い話がオムツを履いた私を撮影することだった。

何のために?それはすぐ後に書く。

私はかなり嫌がったが富永はすごい形相で強制してくる。抵抗しても無駄だった。

仕方なく応じた。

後日、某大手カメラ屋に呼び出された。断ったがすごい剣幕で今から来いと呼び出してくる。私が車に乗っている最中にもしつこく電話をしてくる。

後ろからの車がクラクションを鳴らしてうるさい。行くことにした。

少し前に私のおむつ写真を撮ったがそれをTシャツにプリントにしたから報告するというのだ。

富永が料金の支払いを済ませるとその「商品」を私に見せた。

オムツを履いた無様な写真が見事にTシャツにプリントされているではないか。なんと!退職する男性職員に送別の品としてプレゼントするというのだ!

もう、私は声も出なかったよ。表情も変わらなかった(たぶん)

所詮、私の交友関係なんてそんなものさ。小さい頃からそう。

「siroukiiさんはいじられ愛されキャラだからね。退職者の思い出になるようにジョークをかねてプレゼントを心をこめて渡したいから」

などと富永は言っていた。退職した男性職員らはそのTシャツを日常的に着ているのだろうか。いや、燃えるゴミ行きになったと思うよ。絶対。

 

こんな異常者と私は友人だったのだ。いつもの通り「反省記事」を後に書く。