「地獄大学」30 色々あった。
大学編もパート30になった。長い時間をかけて大学でのいじめ被害をつらつらと書き連ねてきた。そろそろ大学編も終了に向けて動きたい。
思えば色々あった。高岡と知り合ったばかりに悪党連中にも目をつけられて。
屈辱的な思いはまだまだある。今、このブログを書いている現在の時点で思いだせるだけ手短に書いてゆく。
愚論荘にて高岡からヤクザキックなるものを受けた。
私は前のめりになった。すぐに起き上がると
「俺はお前と会った事を後悔している」
と高岡に向かって言った。
「そんなこと言っていいの?色々アドバイスしてあげているのにさ」
「オリエンテーションで久我と一緒に出会ったじゃねえか」
高岡は不貞腐れた。高岡のアドバイスなど
「角松に腕を折られればいい。そうすればあいつの人生をメチャクチャにできるぞw」
なもんだ。まぁ高岡も後に自転車で転倒して腕折ったんだけども。自業自得。久我君か。彼と仲良くできていれば・・・。
高岡が自転車で転倒したに奴は腕を骨折した。高岡は銭湯に行くから介助をお願いと懇願してきた。私は拒否した。紺野は私の胸倉をつかんで
「やってやれよ!」
と恫喝。高岡も
「お前は自分が良ければいいのか~頼むよ~」
って泣きを入れてきた。あの・・どの口が言うんですか?
誰もいない深夜の田舎町の道路で私は走らされた。
その後ろで低速で追いかけてきて疋田の車が激しくクラクションを鳴らして面白がる。
近所迷惑だっつううの。
大学では学部別に更にコース選択があった。2年の時だったか。
普通コース、福祉コース、環境コース(いずれも仮名)があった。
私は当時は社会福祉や環境にはあまり興味がなく普通コースを選択しようと考えていた。潮田君は福祉コースを選んでいたが、そしてあの角松は福祉コースを選んだ。
角松の激しい暴力に怯えていた私は福祉コースを選ぶのは自殺行為だった。
でも潮田君がいるではないか?私の判断力は鈍っていた。
悪党どもの脅迫と拷問により普通コースを選んでしまった。
ゼミ選択でも悪党の拷問を受けて一緒のゼミを選んでしまった。
あの時私は福祉コースを選んでいたらどうなっていただろう。
角松にさらにネチネチと絡まれていただろうか。潮田君に迷惑をかけていただろうか。
皮肉にも私は現在は福祉系の仕事についている。
ゼミの授業で私は高岡と疋田に後ろから背中を執拗に突っつかれていた。
その様子を他の学生が白けた目で見ていた。ごめん、ひどいものを見せてしまったな。
高岡と疋田のいた机は下品な落書きで真っ黒になっていた。
途中から仲良くなった前園君にも迷惑がかかった。
悪党連中からの論愚荘への呼び出しを拒否し逃げまわっていた時、
前園君の下宿先にも悪党の電話がかかってきた。siroukiiはいないか?と。
たまに授業を出席をさぼった時も前園君に悪党が詰め寄った。siroukiiはいないか?と。
前園君。不快な思いをさせてごめん。
4年になり就職活動のために私が地元に帰ってきた時も悪党からの電話に悩まされた。
既に親にいじめを受けていることがバレているために悪党からのいつ帰ってくるんだ!!の恫喝電話に私は青くなっていたのを見て親は受話器を私から奪い取り
怒鳴りつけた。
ある時、授業の出席を確認するための返事だけど
前日に悪党連中にふざけた返事をしろと強制されていた。
授業が始まる直前にも悪党連中は私に詰め寄り
「忘れていましたは通用しねえぞ。ふざけた返事よろしく頼むぜ」
と念を押してきた。
私は恥をかきたくない。どうせ実行しても後でひどい目にあうだけ。
普通の返事をした。
「角松~!!」
自らの返事をすでに終えた高岡が席を抜け出して入り口付近で待機していたが
私の普通の返事を聞いて高岡はそう叫んだ。角松を呼んでくるからな、という意味だろう。好きにしてくれ。
大学では第二外国語を学ぶことになっている。必須だ。今はどうなっているのかな。
私と高岡がまだ仲が良かったころ、高岡とともにフランス語を選択した。
別にフランスに特別な思い入れがあったわけでもなく世界的なメジャーな言語だからというわけだっただけ。ま、第二外国語はメジャーな言語が主だけれども。なんとなくだった。
これから大学入学を目指す高校生の皆さんやまだ第二外国語を選択していないという
大学生の皆さんはなんとなくではなく、興味のある国、好きな国の言語を選んでほしい。
高岡は
「フランス語をマスターしてルーブル美術館の館長と話すんだ~」
って何度かほざいていた。本気なのか冗談なのかははっきりしなかったが真顔で話していたから。私が愚かだったのはこういう妄想癖を見抜けなかったこともある。
フランス語?難しかった。そして今はすっかり忘れている。
フランス語が難しいことを潮田君に少し愚痴ったら呆れられた。
弱音を吐くべきではなかったと後悔している。
悪党連中に私の学生証を取り上げられた時に写真をはがされて馬の写真を貼り付けられたこともあった。当時の学生証は厚紙に写真を付けただけのシンプルなタイプだった。
自動車免許を取得した時、疋田の車を無理矢理運転させられた時があった。
罵声を浴びながら運転させられた。事故らなくてよかったよ。
どういういきさつか忘れてしまったが
数々のいじめ被害の実態を前園君が北村荘の住人に告白した時があった。
本当に申し訳なかった。
愚論荘でのいじめを受けている時に他の愚論荘の下宿人から
「君、いじめを受けているの?」
って話しかけられたこともあった。申し訳ない。
授業のノート取りは常に悪党連中にノートのコピーを渡していた。
コンビニのコピー機に通い詰めだったな。
まぁとりあえずはこんな所かな。本当はもっともっとある。
でも私が屈辱的な思いをしていたことは分かったと思う。
是非反面教師にしてもらいたい。そして私みたいにならないように。
次回は私がついに大爆発したことについて書いていきたい。