ブログ終了に向けて⑥ ギャンブル論
「ギャンブル」
私にとっては本当にひどい目にあった代物だった。
確かにギャンブルでは借金まではしていない。
ギャンブルで身を滅ぼした人たちは
借金苦が主であり、そして人間関係、家族関係を損ねてしまったことであろう。
私は人間関係の損失とギャンブルに嵌ってしまったことによる時間の喪失であろう。
社会人になり私はまたしても悪い人間関係につかまってしまった。
富永(仮名)と知り合ってしまったばっかりに。
元々私はパチンコスロットは大嫌いだった。
大学時代の人間関係の失敗により。(大学編参照)
しかし競馬という公営ギャンブルには私は警戒感がなかった。
むしろ、公営ギャンブル(競馬・競輪・競艇・オート等)は自治体や国に売り上げ金が寄付されるから、などと容認すらしていたのだ。
裏を返せば公営ギャンブルはスポーツ観戦の要素がある。
騎手、選手、馬、厩舎、調教師・・・・
「感動ドラマ」を演出しやすいのだ。
それをヤツは利用して「競馬信者」を増やしていった。
胴元だってそれを利用して公営人気を高めようとする戦略を練っている。
しかしだ。
私が、場外馬券売り場(ウインズ)などで見た醜い光景は今も目に焼き付いている。
泥酔して大騒ぎする者、馬券を買う行列にイライラして前方の客に八つ当たりする者、
外れ馬券を細かくちぎって公共の道路に投げ捨てる者、騎手や競馬仲間に罵声を浴びせる者、客同士のいさかい・・・
若き日々がそれでよかったのか??
馬鹿な奴と仲良くなってしまったばっかりにこのザマだ。
私自身、奴に馬券を買いに何度も行かされて道中やウインズ内で酒に溺れた。
何かが満たされなかったんだろう。
そして奴は「豹変」し、私にひたすら金をたかるギャンブル狂となった。
パチンカス、馬カスの本領発揮だ。
私は長く金をたかられ追いかけまわされて精神的に病んだ。
時間も年月も無駄にした。
交友関係を築くにあたりギャンブルをやっているか否かがカギとなる。
ギャンブルが趣味だと判明したら即座に距離を置け。
私みたいにならないように。
ブログ終了に向けて➄ 恋愛論
「無口な男性は女性に嫌われる」「おしゃべりな男性は意外と好かれる」
この重大な事実に私が気付いたのは恥ずかしながらつい最近なのだ。
無口でもいい、寡黙でもいい、男としてしっかりとしていれば女性に好かれる・・・
などという妄想を抱いていたのだ。
書店に行けば自己啓発本や恋愛マニュアル本が並んでいる。
そんな書籍には必ず書いてある。
「ペラペラおしゃべりな男性は女性から嫌われる」
「男たるもの、無駄口を叩かず、仕事や任務に寡黙に取り組め。そうすれば女性に好かれる」
「穏やかで物静かなしゃべりの男性は女性に受けが良い」
自称恋愛経験豊富な男性らの書いたそれらの書籍。
鵜呑みにしていた。
実際は私は根暗だったんだけどね。コミュ障だったんだけどね。
で女性から好かれましたか??
答えはノーである。むしろ一部女性からは私は徹底的に嫌われた。
昔、テレビのバラエティー番組でやっていた。
女性バスガイドによるアンケート。どんな男性運転手が嫌いかと。
一位は「無口な男性運転手」だった。
当時、私は意外に感じた。
寡黙に安全に気を使い、バスを運行する男性運転手。何故嫌うのか?と。
その感情は男性目線だったのだ。(もちろん男性目線自体は悪いとは思わない)
男性目線からすれば無駄口を叩かず黙々と仕事に打ち込む男性はカッコいいと思う。
しかし女性目線からすれば、おしゃべり好きの女性に付き合ってくれる多弁な男性を好くのは至極当然であるのだ。
少し前まではそれが理解できなかった。
恋愛マニュアル本や自己啓発本では聞き上手の男性が好かれるとある。
それは私のようなコミュ障で根暗な人間よりもおしゃべりでなおかつ聞き上手な男性が好かれるのだ。
私はおしゃべりな男性と話している女性も一見、楽しそうには見えてはいた。
でもそれは女性側は内心うんざりしているんだろうと決めつけていた。
きっとうんざりしているが無理して作り笑いをしているんだろうと。
でもそれは誤解だった。
恋愛マニュアル本や自己啓発本を鵜呑みにしていて
(根暗な自分を正当化するためにそれらの本を信じ込んでいた)
事実、そんなおしゃべりな男性に接している女性は楽しそうではなかったのか。
女性側もキャッキャッと楽しそうではある。
そういう男性こそ女性との縁を掴んでゆく。
結局モテるのは口の上手い男性なのだ。
それに最近気づいた私は終わった。
おしゃべりな男性が嫌われるというのなら、
何故、男性お笑い芸人は好かれるのだ?
何故、男性漫才師は好かれるのだ?
つじつまが合わない。
事実、今まで街コンや婚活パーティで失敗し続けてきた。
私にコミュニケーション能力がなかったからだ。
コミュ能力のある男性参加者は女性側からの電話番号やLINEを交換していった。
「聞き上手」とやらに徹していた私は電話番号やLINE交換などできなかった。
当然の結果だったのだ。
コミュニケーション能力を鍛えるためには良き友人をはじめとする良き人間関係に恵まれる事が重要なのだ。
友人選びを間違えたり、ましてやいじめにあうとコミュニケーション能力を阻害されてコミュ障に陥り、根暗人間になり余計に異性に相手にされなくなる。
そして人生詰む。
私のことだ。
だからこそ、読者の皆さんには人間関係には気をつけていただきたいと心の底から思う。
ブログ終了に向けて④ 友人論
過去記事で既に書いてきたことだけど、おさらいをしておきたい。
進学・入学・就職、転職、転勤など、環境が変わったら。
「友人など仲の良い人は複数作れ」
「特定の人物やグループのみと付き合うな」
だ。
なぜなら
その唯一の友人が実は悪い奴だったら?
その唯一の友人が悪く感化されてしまったら?
気付いた時には逃げられなくなってしまうからだ。
常に人間観察を行うこと。
怪しい言動、不愉快な言動、繰り返すようなら要注意だ。
友人の背後関係や交友関係にも目を光らせておく。
他人の時間を大切にしない人にも注意が必要だ。
いきなり一方的に呼び出す。しかも非常識な時間に。
普通なら相手の都合や予定を確認してからにするのに。
明日の授業や勤務が早いの分かっているくせに深夜に呼び出すとか。
それで朝方まで付き合わせるとか。
そんなことをする奴は自分は翌日は休みとかだからタチが悪い。
つまり自分勝手なのだ。自己中なのだ。
相手にだって用事や都合がある。授業や仕事があるのだ。休息だって取りたいのだ。
それを考えずに一方的に相手の時間を奪う奴は最低だ。
とにかく相手が怪しいとか気付いたら少しづつ、距離を置くことが重要だ。
そしてもう片方の仲の良い人に軸足を移してゆく。
いきなり縁を切るのも悪くないが悪い輩なら
「最近付き合い悪いよなあ~?」
って絡まれること必至だ。
私は唯一の友人とやらに深く付き合ってしまい、その唯一の友人が悪い輩どもと付き合いはじめ一緒になって私をいじめ抜いた。
あるいは唯一の友人の趣味に変に付き合ってしまったばっかりに付け込まれた。
私に害をなした人物は皆、しつこさ、執拗さは常軌を逸していた。
大学時代は他のグループとも仲良くなったから彼らに軸足を移して何とか耐え抜くことができた。「地獄大学」参照。
なにも友達百人作れとかそういうことを言っているわけではない。
「交友関係は広く浅く」
から取捨選択していけばよい。
「交友関係は狭く深く」
だと危険な場合があるのだ。私の経験からだ。
友人選びを間違えると下手すれば人生を狂わせてしまう。
私のことだ。過去記事を読んで私のみじめな経験を読んでほしい。
そして反面教師にしてほしい。
二度と戻ってこない若い日々を友人関係に悩まされて潰したら泣くに泣けない。
人生で一番充実していて楽しい若い時期を人間関係で苦労して潰すなんて恐ろしい。
どうか読者の皆さんは気をつけて人生を謳歌してもらいたい。
ブログ終了に向けて③ ダメ人間
「お前みたいな人間はどこへ行ってもいじめられるんだよ」
「だから結婚できないんだよ」
「(マッチングできないのは)だからあなたはダメなんですよ」
「お前は金で解決するんだろう」
「お前には覇気がない。恥ずかしくないのか悔しくないのか」
「社会人になってもいじめをするやつなどいない。でもお前は社会で通用しない」
そして幼少の頃、見知らぬ女性に言われた言葉。
「あなた、因縁重いね」
散々貶されてきた数々の言葉。
忘れられない。
ああ私はダメな人間ですとも。
類は友を呼ぶ。
だからロクでもない輩と友人になってしまいこのザマだ。
しかも何度も。
私の前世はきっと極悪人だったに違いない。
だから今世で罰を受けているんだ。だから因縁重いんだ。
そう思わないとやっていけない。
いや、言い訳はよくないか。
全て私が悪いのだ。努力を怠ったせいだ。
畜生。人生やり直して次こそは努力して、そして人間を見抜き、嫌なものは嫌と言える人間になりたい。早く生まれ変わりたい。
今年の正月の年賀状がトリガーを引いたようなものだ。
テレビや新聞だけでなく、SNSを見れば全然、他人の結婚や子育てが楽しそうに見えない。悪意を持って故意に悲惨に描いているのもあろうが。
同性の友人すらまともに作れなかった私が交際?結婚?子育て?
考えられない。
生涯独身の私はどう生きればいいのだろう。
まずは小説を読んだり書いたりするかな。
ブログ終了に向けて② 異世界小説
巷では異世界転生モノが花盛りである。いわゆるライトノベルである。
書店へ行くと異世界転生の小説や漫画が大量に出版されているのが分かる。
私はそのような異世界転生モノのライトノベルを否定するつもりは毛頭ない。
私は容認している。過去記事にも書いた。むしろ奨励している。
異世界転生モノが流行るということは誰しも自分の人生に納得していない証なのだ。
現実逃避がしたいのだ。
決して現実逃避が悪いわけではない。そもそも現実逃避したことのない人など存在しない。四六時中、仕事や家庭のことを考えていろって?冗談ではないという人がほとんどだろう。一時的に現実逃避できるからこそ現実で頑張れると思う。
実は私もライトノベルに最近はまっている。2作品ほど。既に漫画化もされている。
小説版と漫画版の両方を所持している。
題名は明かさないが分かる人には分かるだろう。
一つは中年男性が活躍する作品。私も氷河期のおっさんだから感情移入しやすい。
田舎在住のしがない剣術師範が元弟子の女性に首都に連れ出されて大活躍するお話。
その剣術師範は剣の腕前は超一流ながら自覚はなく謙虚で優しい。
だからであろうか。元弟子の女性たちに慕われ好かれている。うらやましい。
はじめは彼に対して疑念を持っていた若者すら彼の腕に驚きシンパになってしまう。
ちょっと腕があるだけで傲慢になる中年男性も多い中、まさしく理想的な人物ではないか。
もう一つは、不運な人生を送ってきた男性が突然死して異世界に生まれ変わる。
なんと赤ちゃんに生まれ変わってしまう。
しかし家族に愛され、生まれ持った能力は超優秀。異世界転生モノではチート能力というのか。そして超幸運体質だという。
成長するにつれて大活躍を続けていくというお話。
自分自身、いじめ漬けの人生であり生まれ変わって最初から人生やり直したい願望があるから感情移入しやすい。私も生まれ変わりたいよ。
まさか自分がファンタジーにはまるとは思ってもいなかった。
ファンタジーには本当に興味がなかった。世界観を理解するのは難しいと思っていたから。いわゆる食わず嫌いってやつかな。
自分は小説を書くという話をした。
色々考えてみた。ラノベの王道である異世界転生。現代から中世ヨーロッパへ転生とかも考えてみた。
しかしやっぱり現代転生を軸にして考えていきたい。
現実的にいじめとはリア充とは若者の青春とは、を考えられる作品にしたいから。
あらゆる年代に読んでほしいから性的な小説にはしない。
もちろん、シリアスになりがちだから暗くなり過ぎないように注意したい。
明るい要素も取り入れて楽しい作品に仕上げたいと思う。
(実は某小説投稿サイトにて小説は執筆している。自分が叶えられなかった性や恋愛というシーンを執筆することによって叶えているのもあるのかもしれない)
もちろん、その小説を執筆する頃にはこのブログは閉鎖している。
小説の宣伝をするつもりはない。色々探して見つけてくれると嬉しい。
私には生き甲斐が増えた。〇殺なんてするつもりはさらさらない。
残された人生の使命はただ教訓を伝えてゆくこと。心がけたい。
ブログ終了に向けて①
久しぶりの更新であります。
私は今まで短い間であったけれどブログを続けてきた。
主にいじめ問題を中心に友人関係論や恋愛論、ギャンブル論、占い風水方位や宗教についても語ってきた。
いや、学生時代の凄惨ないじめ(特に大学時代)や社会人時代の人間関係の苦悩を語るのがメインだった。
辛い過去を吐き出したかったのかもしれない。
吐き出すことで気分が楽になったかどうかは分からないけれども。
でも吐き出せて良かったのかもしれない。
自分の悲惨な体験を語り反面教師として頂くことで学生さんやその親御さんに人間関係について問題提起をしてきたつもりである。
まぁ反響があったとはいえないが、少ない人数ながらも読んでくれた人が私のこのブログを読んで、そして思い出して教訓にしていただければ幸いだと思う。
これが一区切りだと感じたからである。
私はどこへ行ってもロクでもない奴と友人になってしまいその友人がDQN化(某巨大掲示板風に言えば)してしまい、壮絶ないじめが始まったか金をせびられる羽目になった。
そのおかげで時間とお金と労力を無駄にしてしまい、恋愛どころではなかった。
人間的にもだいぶ歪んでしまった。コミュ障にもなってしまった。
若い時期に恋愛を体験できなかったおかげで恋の予感が察知できず、いざ出会いの場に飛び込んでもうまく対応できない羽目になってしまった。
失敗続きで時間ばかりが過ぎてしまい、恋愛も結婚も難しい年齢になってしまった。
生涯独身確定がほぼ決定である。「相手の父親」に頭を下げる自分など想像できない。
こう書くと
「人のせいにするな」
と言われることがある。今までネット上で二回ほど指摘を受けた。
不本意ながら思う。人のせいにしているつもりは毛頭ない。
全て私が悪いのだ。人を見抜く目がなかったこと。そして人間関係を見抜く磨く努力を怠ったこと。自業自得である。本当に不甲斐なかった。申し訳ない。
読者の皆さんは私の後追いをしてはならない。
もちろん、自分の大切な人にも私の後追いをしないように注意をしてほしい。
新しく学校や職場に入ったら仲の良い人物は複数作れ、と何度も書いてきた。
なにも友達百人云々の歌であるように沢山友人を作れというつもりはない。
「唯一」の親友が実は悪い奴だったらどうするのだ。気づいた時には逃げられない。
そして仲の良い人物がどんな人物であるかよくリサーチしておくことだ。
怪しい影を見つけたり嫌な予感がしたらすぐに少しづつ距離を置け。
さもないと人生狂うぞ。
このブログでは宗教問題も書いた。
大学時代では空き缶拾いをしていたばかりに新興宗教の連中に目をつけられて無理やり入信させられた経験も書いた。
今話題になっている旧統一教会問題について。
これは極めて政治的な問題であるため言及を避けてきた。
宗教団体に巨額の寄付をして自分や家族の生活が成り立たなくなるのは本末転倒だ。
これは神も仏も望んではいないのではないか。
宗教団体に限らず、人生のビッグイベントである結婚と葬儀では宗教が大きく絡む。
結婚式や葬儀も徐々に宗教色をなくしてももいいのではないかと思う。
宗教的な結婚式は憧れる人も多く否定するつもりはない。
神父の前で永遠の愛を誓う。いいと思う。私はそこに立つことはないけれど。
葬儀、法事の巨額の費用は遺族の財布を直撃する。簡略化してもよいのではないか。
私が亡くなった時は密葬でも構わない。火葬して墓には入れればOKだ。
法事もできることならやらなくてもよい。
自分のために仕事や用事を休むなんて悪いからね。
まあ、言えることは「宗教の役割は哲学に徹しろ」なのだ。
中庸という仏教思想があるが、どちらにも極端に偏るべきでないという思想は現代にも通じるのではないか。私は気に入っている。
現代は多くの人が極論に走っている。極論が元で争いの種が日本中世界中で絶えない。
中庸の思想が広まるようにと思う。
長々と書いてきたがひとつの区切りとしてブログを終了したいと思う。
自分の暗部を吐き出せたし。少しでも他に伝えられたから。
もちろん、すぐ閉鎖するつもりはない。
あと数回くらい更新してから閉鎖したい。
今までありがとう。次回更新は分からないが間はなるべく置かないようにはしたいと思う。
やはり若者の恋愛は美しい
タイトルの通り。
恋愛とか青春っていうのはやっぱり若者が似合うんだ。
もちろん、年を重ねた熟年夫婦も美しいし
中高年の恋愛も否定するつもりはない。
中高年でも恋愛できる人はできる。
でもそういう人たちは若い頃から魅力的だったんだ。
翻って私はどうだ。
人を見る目がなく、ろくでもない奴と友達になってしまい
あおりを受けていじめを受けて痛めつけられて恋愛どころではなかった。
それを何度も繰り返して人生を棒に振った愚か者。馬鹿者。それが私。
性欲が強くて
異性への関心が高くて
容姿も若々しくて
活動的で
そんな時期に恋愛できなかった私は愚か者。馬鹿者。
自分で人生を終わらせる覚悟なんてない。
でも実質、私の人生は終了した。
この濁ったドス黒い思いをどこへぶつければよい?
前記事で書いた小説の件だけど
今は構想を色々練っている最中だ。
いじめ問題を正面から扱ったノンフィクション系とかはとてもじゃないが無理だ。
取材力もないし、文才もない。そんな有名作家並みのことをやるのは難しい。
やはり創作物だろうな。
現実逃避や生まれ変わり願望を満たす事も兼ねてはいる。
堅苦しすぎる訳でもなく、かといって砕けすぎず。
そんな作品を想像して構想を練っている。
残りの自分の人生で出来ること。
自分の悲惨な経験や教訓を他者に伝え続けてゆく。
それが私の使命なのかもしれない。