いじめと人間関係で人生狂った男のブログ

私を反面教師にせよ。青春と人生を無駄にするな。

人生をやり直せたら② 小説。

人生をやり直せたら?(人生やり直し論)を語るにあたり

前回は自分がニュータウンに住んでいることや

女性とのデートなど妄想を膨らませたような話を書いてきた。

次回もその路線で行こうかと思っていた。

自分は大学生という設定で麻美(仮名)という高校時代から付き合っている恋人がいて

。良き恩師と友人たちに恵まれていて交友関係も広い。

性格は温厚で真面目なイケメン。文武両道であり他の女性からも好かれている。

もちろん、いじめなど受けたこともない・・・

まぁそんな妄想を書き連ねようとしていた。

そんな話をすることで惨めだった自分の人生をやり直したいと思っていた。

私はギャルゲー、18禁ゲーム、漫画アニメなどでそれなりに現実逃避してきた。

しかし自分がリア充だったなら・・・小説風にも表現したくなってきた。

これも立派な現実逃避なのだ。

しかし書く直前になって私はハッとした。

これはこのブログで書くことではないなと。

このブログでは私の悲惨な過去を紹介し反面教師にしてもらい、

読者に対していじめに遭わないように、人間関係に注意するようにとの注意喚起を促すブログのはずだ。

長々と小説的な文章を垂れ流すブログではない。

小説か・・・。自分の妄想を文章化したくなってきた。

小説でも書いてみますか。まだ決定ではないけれど。

本格的にいじめ問題を正面から扱ったような社会派作品はとてもじゃないけど私には無理だ。取材力も能力もない。文章力も。

せめていじめから逃れたとか、転生したとか、生まれ変わったとかそんな話が書きたい。

もちろん、このブログの論調を少しでも多く練り込みたいけどね。

私は今、小説投稿サイトを調べ始めている。

 

 

 

 

人生をやり直せたら① ニュータウンに憧れる。

人生をやり直せたらどれだけいいだろう。

私のようにいじめ漬けで人生がほぼ終了した人間にとっては。

勉強や受験、バイトなど若者には大変なことも多かろうが

それを再び体験してもいいから人生をやり直したい。

それくらいに私の人生は悔いを残した人生だったのだ。

では、いつからやり直したい?

小学校?中学校?高校?大学?それとも社会人から?

いやもう赤ちゃんの時からやり直したい。

いっそのこと来世で生まれ変わりたいくらいだ。

これから書くことは私の妄想・願望を交えた文章である。

来世で生まれ変わったことを書いているが

決して自〇を考えているわけではない。

そんな勇気はない。せめて生き抜いていじめの悲惨さを少しでも伝える人生にしたいと思っている。以下の文章は私の妄想が混じっているので注意。

 

 

私は、ニュータウンという新興住宅街に憧れている。

私は街歩きが趣味の一つであるが住宅街もよく通る。

綺麗で整然とした街並み。大手住宅会社が建てたと思われる清潔な家々。

住宅街の中のこじんまりとしつつもホッとするような公園。

賑やかなニュータウン内の商業施設やスーパー。

なにより新興住宅地は若さ溢れる活気が魅力だ。

私はニュータウン街が大好きだ。

まだ未完成だけど、あつまれどうぶつの森ニュータウン風の住宅街をイメージした島を作っている最中だ。亀の歩みだ。あつ森は自分が住みたい街をイメージして作れるからね。あつ森の中では私はリア充だ。多くの人(動物)に慕われているリア充だ。

そんなリア充の人生をニュータウンからやり直したい。

現実の私は地方小都市の坂の勾配がきつい郊外で生まれ育った。

次に生まれ変わるなら都心か首都圏近郊のお洒落な街に生まれたい。

歴史ある由緒ある街でなくてもよい。

交通の便の良いお洒落なニュータウンにて生まれたい。

新興住宅街の中あるいはすぐ横に少し大きめの駅があり、通勤通学に便利である。

地下鉄あるいはモノレールも開通している。

駅ビルにはお洒落な店が沢山出店しておりランチに買い物に不自由しない。

もちろん手軽に利用できるコンビニもある。

駅や駅前広場、駅ビルにはこれから伸びる活発な子供たちや

青春を謳歌している中高生や大学生が楽しそうに闊歩している。

仕事が充実しているサラリーマンがスマホ片手に駅に向かう。

ちょっと買い物やママ友とのランチに出掛けている幸せな主婦の方々。

初々しい若者カップル。ともに人生を歩んできた熟年夫婦も結構見かける。

みんな流行や情報に敏感である。

みんな幸せだ。いじめなど存在しない。

私もその中の一員になりたい。

そこで子供に戻りたい。

綺麗で活気のあるニュータウンに住んでみたい。

私が若くてパートナーがいるのならニュータウンに引っ越しして家を建てたいくらい。

もう叶わないけど。

書斎は絶対に必要だ。広くなくてもよい。狭くても構わないから。

本を読んだり仕事をしたり一人になれる場所と時間が必要だからだ。性別関係ない。

自分の嫌な部分をパートナーに見せないためにも自分の部屋は必要だ。

少し前に街歩きをしていて分かったことだけど洗濯物を干す陰干し用の部屋がある住宅を見つけた。これはありだと思った。雨も降るからね。

話を戻すと

そんなお洒落で活気のあるニュータウンで生まれ育ちたい。

自分の部屋からは他の綺麗で清潔な家々が良く見える。

ちょっとリッチそうなマンション群も見える。

綺麗な街路を見渡すと幸せな人たちが沢山歩いている。

小学校や中学校、高校などもある。近くには大学もある。

青春を謳歌している若者は本当に幸せそうだ。

私は学校の良き友人たちに恵まれて勉学に部活に学校生活に励んでいる。

住宅地の街角で知り合いによく合い笑顔で挨拶をする。

ニュータウン外もまた活気のある街があり電車で少し足を延ばせばよい意味での刺激を存分に受けている。

そう、今日はお付き合いしている麻美(仮名)と待ち合わせだ。

麻美とは学校の運動部・サークルを通して知り合った。

運動部女子らしく黒髪ショートヘアの似合う優しくて爽やかなでカッコかわいい女性だ。

「siroukii君、ゴメン遅れて!道が混んでて」

「いや、さっき着いたところ。気にしないで。本当に今日は混んでいるよねえ」

「じゃ約束していた映画見に行こうね。私のおすすめ新作なんだよ」

「楽しみだな。その後の食事なんだけど僕がこの前発掘して見つけたお洒落なレストランがあるんだ。そこへ行こう。チェーン店なんだけどw」

「うれしい。楽しみだね。期待しているよ」

手をつないで歩きだす二人。

 

な~んて妄想を書いてきたけれど

来世はデートをしたい、恋愛したい、結婚したい、家庭を作りたい。

活気のあるお洒落な街に住んでみたい。そしてリア充になりたい。

悪人ではなく、善人に囲まれて暮らしたい。

絵に描いたような幸せな人生を送りたい。

でも所詮は叶わぬ夢か。妄想話に付き合ってくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

結婚?想像できない。

タイトル通りである。

何故か?

私は長年にわたる人間関係構築失敗によるいじめ被害にて

コミュニケーション障害であるからだ。

単に女性と交際するだけでもコミュ能力を必要とするのに

結婚となると相手の女性の親(特に父親)とうまくコミュニケーションのキャッチボールが出来ないといけない。

無口な男・上手く話せない男なんぞ女性側だけでなく、相手の父親に好かれるわけがない。(私のことである)

「お義父さん、娘さんと結婚したいです!よろしくお願いします!」

とハキハキと宣言できてお辞儀できるだろうか?

想像できない。

父親だけでない。女性側の親族とも上手くやらなければならない。

冠婚葬祭時にうまく彼らと酒を酌み交わして仲良くなれるか?

想像できない。

結婚式?

二人で神父の目の前で永遠の愛を誓う?

想像できない。

結婚披露宴?

お互いに沢山友人を呼んで祝福ムード。二次会三次会のバカ騒ぎ。

想像できない。

私と結婚する女性がウエディングドレスを着ている。

想像できない。

 

徹底的にいじめ抜かれて人間おかしくなりマトモにしゃべれない男が恋愛?結婚?

同性の友人の上手く作れない男が女性と交際する?

お義父さんや親族と仲良くする?

想像できない。

だから若いうちから友人選びには気をつけるべきだ。

人間関係には気をつけるべきだ。

さもないと人間おかしくなる。

私みたいになるぞ。

私は終わった。

所詮は「二次元嫁」とやらで気を紛らわすしかない。

私は終わった。

ここを見ている若者は私の分まで幸せになってほしい。

過去記事を読んで反面教師に。

さて、私はこれからどうしようか。

終活を進めるしかないのかな。

来世は善人に囲まれた人生を送りたい。

来世は結婚披露宴を是非開催してみたいもんだね。

自〇することはないので大丈夫だけどね。

 

「転校」をもっと容易に。

以前にも述べたけど再び書きたい。

転校することをもっと容易に出来ないものか。

いじめ加害者の執拗さ、執念深さは想像を絶する。

いじめ被害者は精神的にも肉体的にもそして時間的にも追い詰められる。

これはやられた者でしか実感できない。

もちろんやられたことがない人が大多数であることを目指したいし

いじめを受けたことがない人でもその苦しみを想像することでいじめ被害者の痛みを共有してほしいと思う。

繰り返しになるがいじめ加害者の執拗さと執念深さは病的である。

いじめの解決に加害者と被害者が握手をして仲直りしてハッピー的な解決はさらに

「裏でのいじめ」につながる。根本的な解決にはならない。

いじめの解決は加害者と被害者を物理的に隔離することである。

でないと取り返しのつかないことになる。

例えば加害者宅へ呼び出されて殴る蹴るの「拷問」を受ける。

「よくも俺たちに恥をかかせてくれたな」と。

そして

「これからはチクるんじゃねえぞ。平静にしていろ。そしてこれからは俺たちに付き従え!分かったな!」

と拷問を加えられる。

呼び出しに応じなければいいと思うがそうもいかない。

加害者たちは追いかけてくる。地の果てまでも。

自宅の前での待ち伏せや執拗に電話をかけてくる。

「自分たちの憂さ晴らしや金ヅルのオモチャ」

をそう簡単に手放すわけがないからだ。

 

ではどうしたらよいか。

「転校」である。

いじめ被害者が新天地で心機一転頑張ってもらいたい。

確かに転校初日にみんなの前に立たされるのは緊張するだろうが、

いじめ加害者がいない場だからマシなはず。

何故被害者が?加害者こそ転校させろ?

それは正論だけど、何よりも「報復」が恐ろしいからだ。

先程も述べたけどいじめ加害者の執拗さは恐ろしいからだ。

近隣の学校でも良いではないかという意見もあるだろう。

しかし私は遠方の学校にしてほしいと思う。

いじめ加害者たちが追いかけてこれないように

そして被害者を呼び出せないような遠距離の学校に。

近隣の学校に転校だと

「いいか?今度の休みの日に俺たちの家に来いよ!分かったな!」

と脅迫と同時に加害者宅での拷問が始まる。

携帯電話のない時代でさえ私はそれに苦しめられた。

携帯電話のある時代ならいくらでも裏で呼び出せるからだ。

私は中学時代に被害者であるにもかかわらず

教師連中から刑事ドラマまがいの尋問を受けた。

教師連中からしても私のような被害者(問題児)は転校によって「お払い箱」に出来るんだから

ハッピーだろうよ。

 

では転校した生徒の居住先や生活はどうする??家庭からは遠いし。

学生寮」を作ればよい。

簡単ではないというだろうが

何のための税金なのか。同時に寄付を募ればよい。

新たに雇用だって生まれるではないか。

そういう学生寮の寮母さんになりたい人だっているだろう。

 

やってみる価値はあると思う。

私には何ができるだろうか。

 

なお、現在はリモート授業もできる時代である。

それを活用すれば登校する必要がないので一つの方法ではある。

しかし「青春の謳歌」という観点からするとどうなのかなと思う。

コロナ禍で登校できない大学生の悩みも勘案すると今一つなのだ。

それに被害者は自宅を動けないので加害者の連中が押しかけてくる可能性も大きいのだ。

やはり若者は青春を謳歌しないと後の人生に大きな悪影響を与えてしまうからだ。

 

 

フレネミー②

私の場合は過去に友人選びに失敗した時、相手の友人にある共通点があった。

「変に人懐こくて、ヘラヘラしていた」

ということだ。

どこの学校へ行こうが、社会人になろうがその点は共通していた。

中学校時代の栗山(仮名)

大学時代の高岡(仮名)

社会人時代の富永(仮名)

特にひどい目に遭った時代の友人はその傾向が顕著だった。

私はそのヘラヘラしている友人に疑問を感じなかった。

自分の人生を終了させてしまった原因の汚点である。

読者の皆さんは人物観察をよくしてほしい。

何か怪しい点があったらその人物とは親しくしない、距離を置くということをしてほしい。

過去記事に詳しく書いているが判で押したように彼らが悪い連中とつるみ始めたり

趣味を押し付けてきてDQN化(某掲示板的表現だが)してきた。

何度も書いているが、特定の人物(グループ)とばかり付き合ってはだめだ。

その唯一の親友がとんでもない奴だったらどうする?

良からぬ連中がその親友とくっついたらお終いだよ。

その時はヤバいと思って距離を置こうとしても置けるわけがない。

自分が身をゆだねる人物がいないからだ。

だからこそ親友が馬脚を現す前に、普段から他の人物やグループにも良い顔をしておくことだ。

そして実際に他の人物らと行動しておく。

同じ人物とばかり付き合っていると視野が広がらない。

それでは良き人生とはならない。

色々な考えの人がいるんだと身をもって体験してみるしかない。

「なんだ俺らよりも彼とばかり一緒にいるのか」

とイチャモンつけてきたら、もう馬脚を現したも同然。

さっさと縁を切るべきである。もちろん相手を怒らせてしまわないように

少しづつ距離を取り逃げきってほしい。

色々と用事を作ったり環境を変えても良い。

 

もう一つ。

これも何度か書いているが

「人の時間を大切にしない人間」もまた友人づきあいをするべきではない。

友人と会う、遊ぶ。これは必須なんだけれども

相手の友人の都合も考えずにいきなり呼び出すなど自己中心的な行動をとる人間とは距離を置いて縁を切れ。

私が過去にひどい目に遭ってきた「元親友」はみんなそうだった。

しつこい呼び出し、いきなり呼び出し、強制的な呼び出し。

特に社会人時代の富永は顕著だった。

非常識な時間帯に急かしてヘラヘラと呼びだす。

翌日が早い仕事にも拘わらず。これから夜勤であるにもかかわらず。

私が疲れていようともお構いなしだった。

私はこんな自己中な人間と親友になってしまっていた。結果酷い目にあった。

人生狂った。不覚である。

普通の人間なら相手の都合や勤務状況、授業日程などを考慮して相手を誘う。

そして無理なら後日にしたり中止を提案したりする。

今の時代は携帯電話やスマートフォンの発達により

いきなり相手を呼び出すこともできる。

「今、俺は〇〇という店にいるんだ。今から来い!」

一方的にこんな電話をかけてくる奴とは距離を置いて縁を切れ。

自分の人生を自己中心的な人間にメチャクチャにされるぞ。

 

是非、読者の皆さんは友人選びを間違いないように

フレネミーと親しくならないようにして

人生を実り豊かにしてほしい。

 

 

 

フレネミー①

久しぶりの更新である。

何もかもが嫌になっている。このまま人生終わるんだろうな。

今更だけどフレネミーという言葉を知った。

友達を意味するフレンドと敵を意味するエネミーを掛け合わせた造語だそうな。

フレネミーとは自分に対して友達として味方を装いつつ、実は敵として貶める人物らしい。

詳しい考察はネット上で色々あるので参照してほしい。

過去記事で散々書いてきたけれど

私はフレネミーによって若き日々を台無しにされてしまった。

本当に屈辱の日々だった。おかげで人生が狂ってしまった。

そして散々書いてきたけれど

友人を見抜く目を鍛えろということである。

知り合いは複数作れ、同じ人間とばかり付き合っているともしもの時に困るぞ、

もしその友人とがとんでもない奴だったら?

少しづつ距離を置いて。最終的には縁を切れ。

そして同時に交際関係は他の知人に比重を移すのだ。

とんでもない奴と付き合い続けて自分が被害に遭ってからは遅いのだ。

とんでもない奴でも親友?ではその親友が新たにとんでもない奴とつるんで貴方を痛めつけ始めるぞ。

そうなったら手遅れである。今更縁を切ろうとしても追いかけてくるぞ。地獄の果てまで。

わたしがそうだった。だから人生を台無しにした。

 

このブログを見てくれた人たちには私と同じ目に遭ってほしくない。

だから私を反面教師にして輝ける人生を送ってほしい。

異性を嫌いにさせてしまう罠。

今回は異性を嫌いにさせてしまう世間の風潮について書いていきたい。

恋愛も結婚もできなかった私が異性云々を語るなんて片腹痛いと思う。

それにブログの趣旨からいってどうなのかと思われるかもしれない。

しかし私の半生を語る上でも外せないし、少子高齢化が進む今の日本では他人事ではないからだ。

 

今の日本は異性を嫌いに、いや大嫌いにさせるネタであふれている。

何故「異性」なのか。それは性の一方通行では済まされないからだ。

男性→女性だけでない。女性→男性もある。

どちらかが加害者でどちらかが被害者だと決めつけることもできない。

双方がいがみ合い憎しみあい、そして少子化が進行しているのだ。

結婚について。

「男性には恐怖感を」「女性には嫌悪感を」

与えてしまっているのだ。

私は男性であり、実は女性が嫌いになってしまった時期が一時的だが存在する。

その遠因は学生時代からあった。

ネットがあまり発達していなかった、新聞テレビが主な情報源だった時代。

新聞などでは男性(特に既婚男性)を叩く記事であふれていた。

やれ既婚男性は仕事にかまけて家庭を顧みない、妻を大切にしない、

そんな記事が毎日のように書かれていた。既婚男性に対する攻撃と言っても過言ではなかった。

世の夫は全員DV加害者かその予備軍であるかのように決めつけ女性が怒り狂っている、そんな風潮があった。

大学時代、大学の図書館の新聞コーナーで新聞を読む度に思った。

ああまたか、と。うんざりした感覚すら覚えた。

社会人になったからもそれは続き、週刊誌までも既婚男性を罵倒する記事を書いていた。

週刊誌といえば、サブカルなどを扱っている某週刊誌がある。

雑誌名は書かないが、温泉風の雑誌名といえば分かる人には分かるだろう。

その雑誌は一昔前は酷かった。現在は違うが当時はすごかった。

「OL座談会!男の知らない女の本音!」

みたいな記事が毎週のように書かれていた。

記事中では男性に対しボロクソに罵る「女性の声」とやらが多数掲載されていた。

男性側の些細な言動ですら徹底的にこき下ろす。

その週刊誌は既婚男性よりも独身男性をこき下ろす記事を書いていた。

私はアホだからその手の雑誌の記事を読んでしまい鵜呑みにしてしまった。

今でも当時の記事を思い出すと不快な思いをすることがある。

男性叩きをしていた他の週刊誌や夕刊紙も含めて。

これは反論のできない男性に対するいじめではないかと思った。

ネットが発達した現在。

新聞に代わりネットで男性攻撃が行われるようになった。

「最低夫」を扱った漫画の宣伝が目立つようになった。

もちろん、「最低妻」の漫画も存在する。

とにかく「とんでもない男性像」をあげつらいネット上で袋叩きにする。

それを見たネット視聴者が異性を嫌いになって少子化が進行するという悪循環。

今まで男性が男性がと言ってきたが女性側だってそれらの新聞や週刊誌の記事やネットを見て男性嫌いになってしまうという。

先程書いた、性の一方通行ではなく「異性」を嫌いになってしまうというわけ。

そして非婚化少子化が進行する。

ある反フェミ系のサイトのコメント欄でこんなことが書かれていた。

「私は女として一番輝いていた時期に変な思想にかぶれてしまい、婚期を逃してしまいました。後悔しています」

と。

身につまされる。そしてこれは深刻な問題だ。

これからこういう人がどんどん出てくるのかもしれない。

私はいじめとその後遺症で婚期を逃してしまったが似たようなものかもしれない。

確かにいじめ自体が女性と接点を出来にくくしてしまったのかもしれないが

変なマスコミに影響されて一時的に女性を嫌いになってしまった経験も一因ではないか。

もちろん女性を嫌いにならなくても、いじめによるコミュニケーション障害から女性から嫌われまくっていただろうな。

現在でも私は一部の女性から嫌われている。

過去記事になるが私が小学校時代、私があまりにもいじめを受けているので業を煮やした同じクラスの女子たちが私を説教し私に対して集団で特訓を課すってやつ。

当時は屈辱であった。今でも当時の女子に対して思うことがある。

どうやら私は昔から人をイラつかせる何かがあるようだ。

 

今回のテーマはある信条の方々からの反感を買うのかもしれないが

やはり深刻な問題である。

特に争うつもりもないし議論までするつもりもないことは述べておきたい。