いじめと人間関係で人生狂った男のブログ

私を反面教師にせよ。青春と人生を無駄にするな。

「地獄大学」5 悲運。インチキ宗教との出会い①

私はその頃、「宗教、風水、方位学」に嵌っていた。といっても世界三大宗教の表面上の理論や開運風水や開運のための方位についてだ。私は幼い頃からいじめを受けてひどい目にあってきたから宗教や風水、方位で開運してみたい欲求がメキメキと芽生えてきたのだ。それらの解説書を購入して読みまくった。きっかけ?よく書店に売られている暦本がある。「平成〇〇年開運~」って表紙に書いてある本。それを手に取ったのをきっかけに紙が水を吸い込むが如く占いとか風水とかの知識を得ていった。もちろん、ベテランやプロには負けるが。

実は姓名判断とかの話を親にしたことがある。親には叱られたが。

 

とにかく、私は徳を積んでいじめを受けるような因縁から逃れないと、という思いがあった。幼少の頃、あなたは因縁が重いと女性に言われたのも気にかかった。

だから私は何をした?空き缶拾いだ。今も昔も道端には空き缶、空き瓶が無数に落ちている。私は空き缶を拾い集めて自販機やコンビニの空き缶回収箱に入れていた。

時には両手にいくつもの空き缶を抱えて空き缶回収箱を探した。徳を積まないと・・・。その思いは理不尽を生んだ。

 

ある日、私は大学近くのスーパーの駐車場にいた。いつも通りに空き缶を拾ってスーパーの空き缶回収箱に入れていた。そこへ一台の白い軽自動車が通りかかり、中から中年女性が急いで出てきた。

「ねえ!あなた!ちょっと私と話をしてみない??ついてきて!」

その中年女性の名前なんてすっかり忘れている。渡辺(仮名)としておこうか。

渡辺は某新興宗教の構成員だった。あっけにとられている私を尻目にガンガン話してくる。

「お願いだからあなたについてきてほしい!ある場所に連れていきたい!絶対に来て!

 なんてお導き!話だけでも!」

いや、困ります、大学があるし・・断った記憶があるがそれでもお構いなしにまくし立ててきた。思考停止した私は軽自動車に乗せられた。

要するに〇〇教片銀市支部に連れていかれて入信させられたのだ。話だけのつもりでいたのだが無駄だった。すさまじい圧力で入信させられた。そこには若い女性信者もいて

「なぜ、私たちがこうして説得しているか分かる????」と。

つまりだ、善行の空き缶拾いをしている私は神様に気に入られて私たちの教団と巡り合わせてくれたから奇跡だというのだ。

結論から言うと、少し後に意を決してその宗教団体から脱会した。しかし一時的に洗脳状態にあった事は確かだった。全くひどい目にあったもんだ。

そして支部長と見られる中年男性からお守りを手渡された。さてエラいことになった。

しかしその教団に通って教義を聞いていくうちに洗脳されていった。大学の授業でも妙な高揚感があった。授業を聞いていて〇〇教の理想に近づいている・・と。

〇〇教支部で庭の掃除の手伝いをしたこともあった。実地活動と称して信者たちと個別訪問をした。各家庭やアパートを訪ねて玄関の呼び鈴を鳴らして住人が出てくるとお祈りをさせてくださいと頼み込む。ほとんどが断られた。当たり前だが。随行した女性信者や渡辺がぼやいていた。

「このままでは最後の審判で生き残れる人は少ない!」と。

今から考えればアホみたいな話だけど。

実は入信させられてすぐ教団の大規模な集会があるというので背広まがいの服を買わされて教団のチャーターしたバスに乗せられて遠い距離にある某県の教団本部に行かされた。その道中、バスの車内で父親と娘とみられる子が激しく喧嘩していた。

「これからは神様を頼って生きていたっていいじゃない!」

「うるさい!」

父親は娘を殴った。娘は泣いていた。

「なぜ、お前はこの宗教に入ったんだ!ふざけるな!」

若い男性信者が父親を怒鳴りつけた。父親は不満そうにブツブツ言っていた。

「まあまあ皆さん落ち着いて」

添乗員役の中年男性信者が仲裁に入った。

異様な光景だった。

異様な光景は教団の大規模集会でも同じだった。

新しく信者を獲得した信者がその経緯を自慢げにマイクを持って話すたびに他の信者がワー!と歓声を上げていた。教祖様も見た。普通の老人だったけど。

外の広場では初詣の人だかりのように信者が集まりモニュメントにお辞儀をしていた。皆、普通の人たちだったのだ。分不相応な大規模で異様な建物が目を引いた。

それだけではない。

片銀県の教団の若者信者だけを集めて宴会を行うこともあった。一見普通の若者同士の宴会だ。それが若い信者同士を結束させるのだろう。若者にとって楽しい場というのは貴重であり生き甲斐の一つであるからだ。

私が参加した宴会でも明らかに入信したばかりの純朴そうな青年がいた。明らかに楽しい場所に連れてこられたという感じだった。

彼と話した。私は大学生で地元は〇〇県だからね~と話した。そしたら彼は〇〇県でも

こういう活動をやっていこうよ!と目を輝かせて話していた。

宗教活動をやらされるという重さは感じさせなかった。

そこが罠なんだろう。彼は今どうしているのだろうか。

 

これらはすでに社会問題になっていて大学生がカルト宗教に入信させられてしまう弊害が起きていた。

宗教活動のおかげで学業が成り立たなくなったり、他の大学の学友を宗教活動に巻き込んだり強引な勧誘でトラブルになったりと。

これは現在でも大問題になっているであろう。若者にとって人間関係は大事なものであるのに。宗教は人を救うとは言うが全然救っていないではないか。

人間関係だけでない、先ほどのバスの車内の父娘ケンカといい宗教は人を幸せにしていない。あの父娘は今どうしているのだろう?最も大きい矛盾は戦争だ。宗教宗派戦争なんてどうにかしている。ばかげている。

私は全くひどい場所に入ってしまった。もとはと言えば空き缶拾いをしていたところを渡辺という中年女性信者に見られて執拗に勧誘されてしまった。もちろん、当時空き缶拾いをしていたこと自体は後悔していない。街をきれいにしたのだから。

今だって街歩きをしていて空き缶を拾うことがある。街をきれいにしたいから。

もう大学時代のようにはいかないよ。

 

先程も書いたが私は少し後に教団を脱退した。洗脳が解けたからだ。なぜ洗脳から解けた?あまりにも皮肉でとんでもないが、あの高岡がいたからだ。高岡のおかげで教団を脱退できたようなものだ。この新興宗教の体験などの話はもう少し書いてみたいと思う。脱退劇はこじれた結果、可能だったかもしれないから。