いじめと人間関係で人生狂った男のブログ

私を反面教師にせよ。青春と人生を無駄にするな。

「転校」をもっと容易に。

以前にも述べたけど再び書きたい。

転校することをもっと容易に出来ないものか。

いじめ加害者の執拗さ、執念深さは想像を絶する。

いじめ被害者は精神的にも肉体的にもそして時間的にも追い詰められる。

これはやられた者でしか実感できない。

もちろんやられたことがない人が大多数であることを目指したいし

いじめを受けたことがない人でもその苦しみを想像することでいじめ被害者の痛みを共有してほしいと思う。

繰り返しになるがいじめ加害者の執拗さと執念深さは病的である。

いじめの解決に加害者と被害者が握手をして仲直りしてハッピー的な解決はさらに

「裏でのいじめ」につながる。根本的な解決にはならない。

いじめの解決は加害者と被害者を物理的に隔離することである。

でないと取り返しのつかないことになる。

例えば加害者宅へ呼び出されて殴る蹴るの「拷問」を受ける。

「よくも俺たちに恥をかかせてくれたな」と。

そして

「これからはチクるんじゃねえぞ。平静にしていろ。そしてこれからは俺たちに付き従え!分かったな!」

と拷問を加えられる。

呼び出しに応じなければいいと思うがそうもいかない。

加害者たちは追いかけてくる。地の果てまでも。

自宅の前での待ち伏せや執拗に電話をかけてくる。

「自分たちの憂さ晴らしや金ヅルのオモチャ」

をそう簡単に手放すわけがないからだ。

 

ではどうしたらよいか。

「転校」である。

いじめ被害者が新天地で心機一転頑張ってもらいたい。

確かに転校初日にみんなの前に立たされるのは緊張するだろうが、

いじめ加害者がいない場だからマシなはず。

何故被害者が?加害者こそ転校させろ?

それは正論だけど、何よりも「報復」が恐ろしいからだ。

先程も述べたけどいじめ加害者の執拗さは恐ろしいからだ。

近隣の学校でも良いではないかという意見もあるだろう。

しかし私は遠方の学校にしてほしいと思う。

いじめ加害者たちが追いかけてこれないように

そして被害者を呼び出せないような遠距離の学校に。

近隣の学校に転校だと

「いいか?今度の休みの日に俺たちの家に来いよ!分かったな!」

と脅迫と同時に加害者宅での拷問が始まる。

携帯電話のない時代でさえ私はそれに苦しめられた。

携帯電話のある時代ならいくらでも裏で呼び出せるからだ。

私は中学時代に被害者であるにもかかわらず

教師連中から刑事ドラマまがいの尋問を受けた。

教師連中からしても私のような被害者(問題児)は転校によって「お払い箱」に出来るんだから

ハッピーだろうよ。

 

では転校した生徒の居住先や生活はどうする??家庭からは遠いし。

学生寮」を作ればよい。

簡単ではないというだろうが

何のための税金なのか。同時に寄付を募ればよい。

新たに雇用だって生まれるではないか。

そういう学生寮の寮母さんになりたい人だっているだろう。

 

やってみる価値はあると思う。

私には何ができるだろうか。

 

なお、現在はリモート授業もできる時代である。

それを活用すれば登校する必要がないので一つの方法ではある。

しかし「青春の謳歌」という観点からするとどうなのかなと思う。

コロナ禍で登校できない大学生の悩みも勘案すると今一つなのだ。

それに被害者は自宅を動けないので加害者の連中が押しかけてくる可能性も大きいのだ。

やはり若者は青春を謳歌しないと後の人生に大きな悪影響を与えてしまうからだ。

 

 

フレネミー②

私の場合は過去に友人選びに失敗した時、相手の友人にある共通点があった。

「変に人懐こくて、ヘラヘラしていた」

ということだ。

どこの学校へ行こうが、社会人になろうがその点は共通していた。

中学校時代の栗山(仮名)

大学時代の高岡(仮名)

社会人時代の富永(仮名)

特にひどい目に遭った時代の友人はその傾向が顕著だった。

私はそのヘラヘラしている友人に疑問を感じなかった。

自分の人生を終了させてしまった原因の汚点である。

読者の皆さんは人物観察をよくしてほしい。

何か怪しい点があったらその人物とは親しくしない、距離を置くということをしてほしい。

過去記事に詳しく書いているが判で押したように彼らが悪い連中とつるみ始めたり

趣味を押し付けてきてDQN化(某掲示板的表現だが)してきた。

何度も書いているが、特定の人物(グループ)とばかり付き合ってはだめだ。

その唯一の親友がとんでもない奴だったらどうする?

良からぬ連中がその親友とくっついたらお終いだよ。

その時はヤバいと思って距離を置こうとしても置けるわけがない。

自分が身をゆだねる人物がいないからだ。

だからこそ親友が馬脚を現す前に、普段から他の人物やグループにも良い顔をしておくことだ。

そして実際に他の人物らと行動しておく。

同じ人物とばかり付き合っていると視野が広がらない。

それでは良き人生とはならない。

色々な考えの人がいるんだと身をもって体験してみるしかない。

「なんだ俺らよりも彼とばかり一緒にいるのか」

とイチャモンつけてきたら、もう馬脚を現したも同然。

さっさと縁を切るべきである。もちろん相手を怒らせてしまわないように

少しづつ距離を取り逃げきってほしい。

色々と用事を作ったり環境を変えても良い。

 

もう一つ。

これも何度か書いているが

「人の時間を大切にしない人間」もまた友人づきあいをするべきではない。

友人と会う、遊ぶ。これは必須なんだけれども

相手の友人の都合も考えずにいきなり呼び出すなど自己中心的な行動をとる人間とは距離を置いて縁を切れ。

私が過去にひどい目に遭ってきた「元親友」はみんなそうだった。

しつこい呼び出し、いきなり呼び出し、強制的な呼び出し。

特に社会人時代の富永は顕著だった。

非常識な時間帯に急かしてヘラヘラと呼びだす。

翌日が早い仕事にも拘わらず。これから夜勤であるにもかかわらず。

私が疲れていようともお構いなしだった。

私はこんな自己中な人間と親友になってしまっていた。結果酷い目にあった。

人生狂った。不覚である。

普通の人間なら相手の都合や勤務状況、授業日程などを考慮して相手を誘う。

そして無理なら後日にしたり中止を提案したりする。

今の時代は携帯電話やスマートフォンの発達により

いきなり相手を呼び出すこともできる。

「今、俺は〇〇という店にいるんだ。今から来い!」

一方的にこんな電話をかけてくる奴とは距離を置いて縁を切れ。

自分の人生を自己中心的な人間にメチャクチャにされるぞ。

 

是非、読者の皆さんは友人選びを間違いないように

フレネミーと親しくならないようにして

人生を実り豊かにしてほしい。

 

 

 

フレネミー①

久しぶりの更新である。

何もかもが嫌になっている。このまま人生終わるんだろうな。

今更だけどフレネミーという言葉を知った。

友達を意味するフレンドと敵を意味するエネミーを掛け合わせた造語だそうな。

フレネミーとは自分に対して友達として味方を装いつつ、実は敵として貶める人物らしい。

詳しい考察はネット上で色々あるので参照してほしい。

過去記事で散々書いてきたけれど

私はフレネミーによって若き日々を台無しにされてしまった。

本当に屈辱の日々だった。おかげで人生が狂ってしまった。

そして散々書いてきたけれど

友人を見抜く目を鍛えろということである。

知り合いは複数作れ、同じ人間とばかり付き合っているともしもの時に困るぞ、

もしその友人とがとんでもない奴だったら?

少しづつ距離を置いて。最終的には縁を切れ。

そして同時に交際関係は他の知人に比重を移すのだ。

とんでもない奴と付き合い続けて自分が被害に遭ってからは遅いのだ。

とんでもない奴でも親友?ではその親友が新たにとんでもない奴とつるんで貴方を痛めつけ始めるぞ。

そうなったら手遅れである。今更縁を切ろうとしても追いかけてくるぞ。地獄の果てまで。

わたしがそうだった。だから人生を台無しにした。

 

このブログを見てくれた人たちには私と同じ目に遭ってほしくない。

だから私を反面教師にして輝ける人生を送ってほしい。

異性を嫌いにさせてしまう罠。

今回は異性を嫌いにさせてしまう世間の風潮について書いていきたい。

恋愛も結婚もできなかった私が異性云々を語るなんて片腹痛いと思う。

それにブログの趣旨からいってどうなのかと思われるかもしれない。

しかし私の半生を語る上でも外せないし、少子高齢化が進む今の日本では他人事ではないからだ。

 

今の日本は異性を嫌いに、いや大嫌いにさせるネタであふれている。

何故「異性」なのか。それは性の一方通行では済まされないからだ。

男性→女性だけでない。女性→男性もある。

どちらかが加害者でどちらかが被害者だと決めつけることもできない。

双方がいがみ合い憎しみあい、そして少子化が進行しているのだ。

結婚について。

「男性には恐怖感を」「女性には嫌悪感を」

与えてしまっているのだ。

私は男性であり、実は女性が嫌いになってしまった時期が一時的だが存在する。

その遠因は学生時代からあった。

ネットがあまり発達していなかった、新聞テレビが主な情報源だった時代。

新聞などでは男性(特に既婚男性)を叩く記事であふれていた。

やれ既婚男性は仕事にかまけて家庭を顧みない、妻を大切にしない、

そんな記事が毎日のように書かれていた。既婚男性に対する攻撃と言っても過言ではなかった。

世の夫は全員DV加害者かその予備軍であるかのように決めつけ女性が怒り狂っている、そんな風潮があった。

大学時代、大学の図書館の新聞コーナーで新聞を読む度に思った。

ああまたか、と。うんざりした感覚すら覚えた。

社会人になったからもそれは続き、週刊誌までも既婚男性を罵倒する記事を書いていた。

週刊誌といえば、サブカルなどを扱っている某週刊誌がある。

雑誌名は書かないが、温泉風の雑誌名といえば分かる人には分かるだろう。

その雑誌は一昔前は酷かった。現在は違うが当時はすごかった。

「OL座談会!男の知らない女の本音!」

みたいな記事が毎週のように書かれていた。

記事中では男性に対しボロクソに罵る「女性の声」とやらが多数掲載されていた。

男性側の些細な言動ですら徹底的にこき下ろす。

その週刊誌は既婚男性よりも独身男性をこき下ろす記事を書いていた。

私はアホだからその手の雑誌の記事を読んでしまい鵜呑みにしてしまった。

今でも当時の記事を思い出すと不快な思いをすることがある。

男性叩きをしていた他の週刊誌や夕刊紙も含めて。

これは反論のできない男性に対するいじめではないかと思った。

ネットが発達した現在。

新聞に代わりネットで男性攻撃が行われるようになった。

「最低夫」を扱った漫画の宣伝が目立つようになった。

もちろん、「最低妻」の漫画も存在する。

とにかく「とんでもない男性像」をあげつらいネット上で袋叩きにする。

それを見たネット視聴者が異性を嫌いになって少子化が進行するという悪循環。

今まで男性が男性がと言ってきたが女性側だってそれらの新聞や週刊誌の記事やネットを見て男性嫌いになってしまうという。

先程書いた、性の一方通行ではなく「異性」を嫌いになってしまうというわけ。

そして非婚化少子化が進行する。

ある反フェミ系のサイトのコメント欄でこんなことが書かれていた。

「私は女として一番輝いていた時期に変な思想にかぶれてしまい、婚期を逃してしまいました。後悔しています」

と。

身につまされる。そしてこれは深刻な問題だ。

これからこういう人がどんどん出てくるのかもしれない。

私はいじめとその後遺症で婚期を逃してしまったが似たようなものかもしれない。

確かにいじめ自体が女性と接点を出来にくくしてしまったのかもしれないが

変なマスコミに影響されて一時的に女性を嫌いになってしまった経験も一因ではないか。

もちろん女性を嫌いにならなくても、いじめによるコミュニケーション障害から女性から嫌われまくっていただろうな。

現在でも私は一部の女性から嫌われている。

過去記事になるが私が小学校時代、私があまりにもいじめを受けているので業を煮やした同じクラスの女子たちが私を説教し私に対して集団で特訓を課すってやつ。

当時は屈辱であった。今でも当時の女子に対して思うことがある。

どうやら私は昔から人をイラつかせる何かがあるようだ。

 

今回のテーマはある信条の方々からの反感を買うのかもしれないが

やはり深刻な問題である。

特に争うつもりもないし議論までするつもりもないことは述べておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、異世界転生・転移モノのアニメ漫画小説が多いのか。現実逃避の重要性。

以前も言及していたけど

ネットをやっていると漫画の広告をよく見る。

18禁系もあれば夫婦関係を描いた漫画の宣伝もある。

(なお夫婦関係を描いた漫画については後日言及したい)

目を引くのは異世界転生モノの漫画が多いということだ。

男性向け女性向け両方の漫画で共通している。

目が覚めたら異世界に転生していたと言う漫画だ。

過去の外国とかファンタジー世界であったり

王族貴族の世界とか、自分が読んだ小説の世界とか

あるいは自分がプレイしていたゲームの中とか。

転生した世界では縦横無尽の大活躍だ。

似たようなものとして

・人生やり直し体験系

(人生行き詰っていたところに業者がやってきて高校生活やり直しプログラムを提案してくる)

・特命系

(昼間は表向きはダメ会社員だけど本当は屈強な特命会社員であり、夜間には会長の指示のもとに悪を成敗する。もちろんモテモテである)

これらは私がかつて愛読していた漫画である。漫画の名前は明かさないけど。

どんな漫画かは分かる人には分かるだろう。

また購読はしていないがネット広告上で見た例としては

スーパー人間が主人公に憑依して万能な人物として活躍するとか

中年の人間や老夫婦が若返ったとか

本当に多種多様である。

これらの漫画に共通するのはズバリ

「人の変身願望」によるものだろう。

満たされない現実世界をアニメ漫画の中で癒す、発散する。

仮想現実を楽しむ。現実逃避する。

まず断っておく。

これらのアニメ漫画の存在を私は絶対に否定はしない。

むしろ、必要悪を超えて人生やり直しのリハビリとして推奨したいくらいだ。

18禁のゲームなのであるが

好みのタイプのヒロインを作り上げて学生生活をやり直すというゲームもプレイしたこともある。

現在も時々似たようなゲームをやっている。

もはや恋愛や結婚が無理ゲーな私には癒しのゲームなのだ。

人間誰しも絵に描いたようなリア充みたいな人生を歩んでこれたわけではないのだから。

不遇な人生を悩んでいる人も多かろう。

「現実逃避」もたまには必要なのだ。

実際に人生をやり直したくてもできるわけがない。

実際に若返るなんてできるわけがない。

だからこそ「現実逃避」が必要なのだ。

現実逃避を頭ごなしに否定するポジティブ人間もいるようだけど

そういえば

休日に映画を見に行ったり、欲しいモノを買いに街へ出かけたり

旅行に行ったり、遠出をしたり、趣味に打ち込むことだってそう。

休息に温泉に行ったりすることもそう。書籍や小説を読み込むことだって

これも一種の「現実逃避」なんだ。

四六時中、仕事や家庭などの現実を考えていろって?

無理な注文なのだ。それで緊張が張り詰めて現実世界に悪影響を与えてどうする?

リフレッシュは必要なのだ。

異世界転生モノや18禁モノでなくても昔からある名作漫画だって読み込めば現実逃避だ。主人公など登場人物に共感する。これもれっきとした現実逃避だ。

悪い事ではない。

そう、現実逃避も悪い事ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただつらい。

何を書いていいか分からない。

今まで自分語りをしてきたけど何もできない。

何も効果をあげていない。

現実にいじめ被害者を救えていない。

子供や若者を救えていない。

 

そして何よりここ最近の虚無感は半端ない。

ブログ更新も億劫になってきている。

高校時代、大学時代と同級生であり年賀状のやり取りをしている潮田君(仮名)

からの今年の年賀状。

幸せな家族の動向を伝える年賀状。

もう完全に諦めかけていたところだった。まさにその年賀状がとどめを刺してしまった。

私に引導を渡してしまった。

今回の年賀状は潮田君に出していない。

私はもう彼に会うことは生涯ないだろう。

彼は私を反面教師にして立派な男に成長した。

彼は高校時代から私の嫌な部分も見てきたに違いない。

大学時代だって高岡(仮名)に柔道技をかけられているのを見て私を叱った。

高岡どもに絡め取られて潮田君グループと何故仲良くなれなかった。

何とかならなかったのか?

もし万が一私と出会ってしまったなら私を口汚く罵ってほしい。

罵倒してほしい。嘲り笑ってほしい。私を殴ってほしい。

そうすれば全てを諦められる。楽になれる。

幼少の頃から若者時代、社会人時代とロクでもない奴と友人になってしまったばかりに地獄を見て人生終了した私。自業自得・後悔先に立たず。

苛め抜かれてコミュニケーション能力が破壊された中年男が恋愛や結婚できるなんて

芸能人か権力者か金持ちでもないかぎり絶対にありえない。

いやコミュニケーション能力が高いから勝ち組になれるのだろう。

 

人を見る目がないということはそういうことだ。

是非、siroukiiというクズを反面教師にしてこのブログを読んでほしい。

このブログもいつまでも放置しておくわけにはいかないから今のうちに。

 

 

 

 

 

 

 

いじめ被害は時間を無駄にする?③ 方位・占いは迷信なのか?

とにかく私は気学方位から奇門遁甲方位に切り替えて「気休め」のために利用してみた。

この日時・時間・方位。それを特定したらその方位に向かって買い物や外出をした。

15キロメートルをその吉の方位に向かって歩いたこともある。何度か。

乗り物を使って吉方位へ向かうのも良いが必ず長距離、長時間滞在し、向こうではなるべく歩くこと、徒歩で行く場合は15キロメートルは歩け。

遁甲本にはそう書いてあった。15キロ。短いようで結構長い距離だ。

夏の暑い日にはびっしょりと汗をかいて歩いて歩いて歩きまくった。

 

で?開運効果ありましたか???

ありませんでしたね。

 

コロナ禍の直前には長距離の旅行に行った。一泊した。

行ったこともない県に行った。楽しくてその県は確かに気に入ったけど。

 

で?開運効果ありましたか???

ありませんでしたね。

まだ行ったこともない県に一泊した。遁甲本の仰せの通りに大吉の時間、方位を割り出し出発したけどね。

また、奇門遁甲は流派が沢山あって方位の吉凶の解釈もだいぶ違うらしい。

実際に売られている遁甲本を二冊買って読み比べてみた。

書いた先生ごとに方位の吉凶が違うのだ!

例えばA先生の著書ではある時間、東の方角は大吉で◎なのに

B先生の著書では同じ時間、同じ東の方角は大凶の×なのだ!

これはどういうことなのか?

結局は奇門遁甲もいい加減な迷信なのか?

古代中国で自軍を勝利に導くために誕生、発達したのが遁甲だというが

結局は遁甲も神話や創作に過ぎなかったのか?

それでも「気休め」として外出先の方位に使っている私がいる。

 

次に易。

私が大学生の時に歴本をきっかけに易経というものを知った。

御存知、いじめ被害で危険予知のために覚えた易。

本格的に筮竹を使うやり方ではなく、サイコロを振って占うやり方。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦

という言葉があるがその通りかもしれない。

それに易の解釈が難しすぎる。

大学時代に悪党連中に部屋をぐちゃぐちゃに荒らされた時に易で占った紙が見つかり連中にゲラゲラと笑われ回し読みされたものだった。

易ではないがタロットカードもある。

タロットのことはよく分からないが

YouTubeなどでタロットについて動画が挙げられているが

過去に起きた事件事故の原因などを占う動画がアップされている。

これまた犯人像がバラバラなのだ。

それでも私は「気休め」のために決断をするときに易を使って占っている。

 

占いや風水、方位を迷信だと一刀両断して一切信じない!と宣言できればどんなに楽か。でも悲しいかな。

人生の大半を苦しめられたいじめから逃れるためには、防ぐためには何でもやらないと。

もちろん努力が一番大事なのは分かっている。でもすがりたいものがある。

ごもっとも過去の経験から「宗教」だけはごめんだ。

大学時代に無理矢理、新興宗教の教団に入信させられた過去があるから。

過去記事参照のこと。