「地獄大学」35 大学時代の終わりに④
さて、地獄のような大学生活が終わった。
本当に壮絶な体験をしたものだ。
卒業から数日後、実家にて深夜、水が欲しくて一階の台所に降りた。すると両親の寝室から声がする。気になって耳を澄まして聴いてみると母親が愚痴っていた。
こんなことブログに書く必要があるのだろうか?自分の親だろ?でも若かり日の恥部である。心を鬼にして書きたい。
「大学出がなんだ・・・偉いのか・・・」
「こっちは高卒なんだよ・・・悪かったな」
延々と愚痴っていた。父は黙って聞いていたと思う。
私は複雑な気分というより申し訳ないという気分、惨めな気分で母親の愚痴を耳にしてうなだれていた。
思い出した。かつて同窓会で言われた言葉。
「目的意識もないのに大学何て行かないもん」
高い授業料を払って毎日にようにいじめを受けて周りに心配をかけて恩師は嫌気が差して他の大学に転籍し、かつ親にこんな愚痴を吐かせる。
私っていう人間はなんて屑なんだと思い知らされた。大学生になってまで何をやっていたんだ。もちろん悪党連中だって大学生になってまで何をやっているんだ、かもしれないが。私は自分自身が相当嫌になった。大学なんて行くべきではなかったのか。
かつて中学時代。
「大学には絶対に行け。色々な経験ができるから」
と言われ、別の教師からは
「一度大学に入ったからには頑張るしかない。でないとその大学に入れなかった者に申し訳が立たないだろう」
と言われた。
それを発言を考慮したとしても私は惨めで情けなかった。
全ては人を見る目がなかったこと。そしていじめを跳ね返す度胸がなかったこと。
その二点に尽きる。運の巡りあわせが悪かったのなら尚更気を付けるだろうに。
学歴議論になりかねない話をしてしまったが改めて持論を述べる。
私が人生の区分けをした通り、大学時代は中期青春時代になる。青春時代の真っただ中なのだ。学生生活も、友人関係も、部活動やサークル活動も、そして恋愛も・・・。
一通り充実した青春活動をしっかり経験していないとダメなのだ。それが出来なかった者は間違いなく後の人生歪む。人格が歪む。いじめを受けていたなら尚更だ。
ドンドン泥沼にはまり時だけが過ぎてゆく。挽回もままならなない。最悪、生涯独身者になり孤独死だって十分考えられるのだ。私もそうなるかもしれない。
私が高校生時代でさえ「大学のレジャーランド化」が問題視されていた。
当時は私も問題視していた。愚かだった。
レジャーランド?結構ではないか。それで若者が青春を謳歌出来れば歪むことがなく立派な大人になり家庭を持ってより良い世の中を作ってくれる。
「若者の居場所」は絶対に必要なのだ。それが学校なのだ。
次回は大学時代の検証を行っていきたい。あの時、こうすれば悲劇は避けられたとか。
読者の皆さんにはぜひ参考にして自分自身や子供さんへの教訓としてほしいと思う。
「地獄大学」34 大学時代の終わりに③
私が迷惑をかけまくった北村荘。もうすぐ北村荘ともおさらばだ。
私は下宿開設以来の問題児だったろう。北村おばさん、すまなかった。
下宿人のみんな、すまなかった。
郵便受けに目をやる。今日は嫌がらせの手紙が来てなかった。
嫌がらせの手紙?
雑誌や新聞についてくる葉書がある。ヨガ、髪の植毛、占い、など怪しい広告についてくる葉書。その葉書に悪党どもが私の名前と住所を書いて資料請求したのだ。何通かその資料が郵送されてきたのだ。全く・・・。
卒業間際になって疋田が自分の知り合いのDJとやらに例の低俗な踊りの掛け声をもとに
音楽を作成したらしい。愚論荘にて聞かされた。下品な音楽だったが私はもう何も感じなかった。悪党どもはゲラゲラ笑っていたけどね。
大学時代の最後の愚論荘での出来事。
「ボコボコに殴った角松と違って俺らはちょっと小突いただけだ」
言い訳が始まったかと思えば
「だからいじめられるんだよ」
「社会人になってもいじめをやる奴なんていない。でもお前は社会では通用しない」
と説教しだした。ハイハイ、全くその通りでございます。これに関してはお前らが正しい。すみませんでしたねえ。
最後の最後まで悪党連中に不快にさせられてしまった。私が悪いんだけれども。
紺野や疋田が高岡の部屋から去り、古い畳敷きの部屋には私と高岡だけが残った。
しばらくの静寂の後、私は絞り出すような声を出した。
「これでお前と別れることができる。オリエンテーションの時にお前と会わなければ
四年間、こんなひどい目にあわなかったんだよ」
「なんとでも言え。どうせ俺は利己主義者だ。俺はそうやっていじめから逃れた」
高岡は不貞腐れた。
フン!私はその後すぐに高岡の部屋を飛び出し愚論荘からも飛び出した。
一度も振り返ることもなく北村荘に着いた。
卒業式のことなんてあまり覚えていない。最後の最後ということで悪党どもがヘラヘラと私に笑いかけてきたことは覚えているが。それが最後。
高岡は私の両親も片銀市に来るのでいじめがバレるのか?などとビクビクしていたが、心配するな、今更問題にしたくないからな、と高岡にくぎを刺しておいた。
こうして地獄の四年間が終わった。卒業式後、私と私の両親は片銀県のもう一つの大都市に向けて出発した。観光だ。
「さようなら片銀市。ありがとう片銀市」
私は発車する列車の中でつぶやいた。私にとってはいわくつきの街になってしまった。
でも良い街だったよ。
走り出した列車の中で私は車窓から街の外の景色を淡々と眺めていた。
「地獄大学」33 大学時代の終わりに②
卒業が近づくにつれて、もう一つ憂鬱なことがあった。
高岡が私へのいじめを録音したカセットテープ類だった。
はじめは私が引き取ろうと高岡に持ち掛けたが高岡はそれなら金を出せと言ってきた。
かなり高額な値段で。ふざけるな。だったらお前が責任もって処分しろよ、間違っても親御さんに見られたら困るのはお前だぞと言っておいた。
今から思えば高い金を出してでもテープ類を取り戻しておくべきだったか。
別に高岡を訴えるつもりはないし、これからもない。
しかし私がいじめを受けた証拠をこちらが握ることになる・・。
もちろん私にテープを渡したくないから高い金を出せと言ってきたかもしれないが。
また判断間違った。テープだけでなく当時はコンビニやスーパーなどで簡易カメラが売っていた。「〇るんです」などのカメラ。当時はスマホカメラなんてなかったから。
その簡易カメラでいじめシーンを撮られたもんだ。よく現像してくれたなと思われるかもしれないが、よそから見れば悪ふざけにしか見えないし。
その写真やテープを今も高岡は所有しているのだろうか。今も笑いネタにしているのだろうか。他人に見つかればタダでは済まない。処分してくれていることを祈る。
卒業間際に紺野はレンタルビデオ店で18禁のビデオを俺のために借りて来いと言ってきた。嫌だと言ったが無駄だった。そのためにレンタルビデオ店のカードを作った。アホみたいだよな。
紺野のアパートの部屋の処分で本類を古本屋に行って売ってこいと命令された。
ダンボールいっぱいに詰めてそれを抱えて街を歩いた。カッコ悪かった。
卒業式まで日がしばらくあった。地元でバイトをしなければならなかった。残り少ない片銀市での生活費稼ぎや悪党どもに取られた金を取り返さないといけない。
定番だったサービスエリアの皿洗いは募集していなかった。以前にも書いたが
バイトの職場で学歴について嫌なことを言われた思い出もあるし。
そこで見つけたのが道路工事の交通誘導。
そこでしばらく働くがとにかく大変だった。ひっきりなしに車がやってくるから精神的に休まる暇がない。下手すれば交通事故になる。責任重大だ。ドライバーから怒鳴られたりしたこともある。二度とやりたくない。
もちろん仕事だけでない。先輩から説教を結構受けた。
お前は声が小さい、覇気がない、ネチネチと休憩中に小言を食らった。
私の劣等感を刺激するには十分だった。情けない。
とにかく金を稼いだ。
悪党連中と顔を合わせるのもあと少しだけとなった。
「地獄大学」32 大学時代の終わりに①
大学編を数日おきにダラダラと続けてきた。まだまだ屈辱的な思い出は存在する。
しかしまとめに入りたい。読者の皆さんにはぜひ反面教師としてほしいから続けてきた。精神的につらかったが大学編の終盤を回顧したい。
私は悪党どもから逃れるために四年に入り就職活動を早めに始めたが大学時代に内定が出ることはなかった。当たり前である。子供の時からいじめを受け続け人間おかしくなっていたから。他人に怯えてオドオドした態度、人間不信、緊張からくるドモリ。普通の人間ではない。
ある会社説明会で採用担当者らから就活生に質問するように言われた。
多くの就活生が手を挙げて質問した。私も勇気を出して質問してみた。
やはり緊張からか声が裏返ってしまった。挙動不審者そのものだ。
採用担当者が二人、顔を見合わせた。私は覚えている。採用担当者らはなんだこいつは?みたいな感情を抱いたのだろう。
そして激しい自己嫌悪の感情が沸いてきた。ああ何をやっているんだ、と。
高岡や紺野、疋田は内定が出た。所詮そんなものである。
大学生活も後半に突入し更に時間が経ってくると私は次第に悪党に金も要求されるようになっていた。というか無理難題を吹っ掛けられてできないと金を要求されるってやつ。もはや断っても無駄であった。もはやどうなってもいいやという精神状態だった。
少ない仕送りや悪党にバレないように単発のバイトをやったり、夏休み冬休みなどで地元に帰省したときにサービスエリアの皿洗いのバイトをして稼いだ金を生活費に充てていた。それがだんだんと少なくなっていった。
もう卒業が近くなりかけた冬のある日、悪党連中に強要されて疋田に金を渡してこいと言われた。仕方なく疋田のアパートへ行った。封筒に入った札(何円か覚えていない)
を疋田に渡した。疋田は不機嫌になり、こんなこと嫌なんだよ、と言い出した。そして
「お前は金で解決する人間なんだろ?これからもそうなんだろ?」
私に言い放った。次の瞬間、私の全身に激しい殺意が駆け巡った。
かつて高岡に向かって激しくキレまくった時とはまた違う感覚なのだ。
この時と同じ殺意は後に3度味わうことになる・・・
てめえも散々金出せ出せ言っておいて・・・今更なんだ?何て言った?
普通の人間なら疋田を殺していた。たとえ殺すまでいかなくても疋田に対して激しい暴力を加えていたはずである。しかし私は体が動かなかった。なぜか?
ヘタレだからである。もう卒業が近くて諦めの境地にもなっていた。
強い殺意を覚えても体が動かない。所詮は私はその程度の人間だった。
私はあの時、疋田に危害を加えなかった事を後悔している。
「地獄大学」31 大爆発!
私も大学四年生になり就職活動を始めなければならなくなった。
その間も悪党連中による陰湿ないじめが続いていた。耐えるしかなかった。
卒業するまで。退学などしたら高校の後輩が推薦入試の枠がもらえなくなる。それは避けたかった。推薦入試の縛りが私を苦しめた。
とにかく就職活動を理由に地元へ帰省する理由付けができたことは良かった。
それ以前に両親にいじめがバレてから帰省の頻度を上げろと言われていたし。
就職活動を理由に帰省する(悪党連中にいちいち許可は取っていられない)と
私の実家にまで悪党連中から電話がかかってくる。いじめ相手がいないから不満なんだろう。むしゃくしゃしているんだろう。
「いつ片銀市に帰ってくるんだ!!」
怒鳴り声が響く。だから電話の呼び出し音が恐怖だった。今も好きではない。
察した親が私から受話器を奪い取り悪党どもを一喝することもあった。
私は片銀市内の大学近くのバス停に向かって歩いていた。
カバンにはリクルートスーツと革靴が入っていた。これからバスに乗って片銀駅に向かうつもりだった。他都市へ某企業の会社説明会の出席のためだった。
大学敷地の周りにバスが循環しておりバス停がいくつかあった。どこからでも片銀駅に向かえる。さて、ここのバス停から乗るか。徒歩で大学前に差し掛かった時だ。
疋田の車がさっと駆け寄ってきたではないか。ヤバい!つかまってたまるか。
「siroukii!こっちへ来い!」
私は逃げ出して大学内へ入った。正門ではなく塀の隙間から大学構内へ逃げた。
バン!車のドアの音がした。疋田の車から高岡が下りてきて私を探し出した。
何とかその時は高岡をまくことができた。危ない危ない。
さて、どっかのバス停にすぐに向かおう。再び大学外へ出るべく移動した。
某校舎の裏口に差し掛かった時だ。
「!!!」
裏口から高岡と疋田が出てきて運悪く鉢合わせしてしまったのだ。
私はこれから会社説明会のために旅立たないといけないんだ。なんてこった。
次の瞬間、私は脱兎のごとく猛ダッシュで逃げ出した。
それはそれは半狂乱になって百メートル競走の選手であるかのように。
狂ったように私は逃げた。高岡も狂ったように私を追いかけた。
疋田は追いかけてこなかった。車へ戻ったようだ。
うあああ!!!
校舎をぐるりとまわり、主校舎のメインの入り口前に差し掛かった。
私も高岡も息が絶え絶えになっていた。
私は近くにあったベンチに倒れこむように座り込んだ。後から高岡もついてきた。
私は全身を大きく震わせて呼吸を整えていた。ハアハアハア・・・!!!
「疋田君はタバコ吸っているから息がついてこれないし。なんで逃げるんだ・・」
高岡もハアハア息を荒らしながら絞り出すような声を出した。
その時だった。私の中で何かが切れた。私は高岡に問いかけた。
「楽しいか・・?面白いか・・?」
「楽しいってなんだよ。面白いってなんだよ・・」
高岡も問いかける。
「いじめやって楽しいのかっていうんだよ!!!(いじめは)お前らの楽しみなんだ!!生き甲斐なんだ!!ストレス解消なんだ!!ふざけるな!!」
「・・・」
「お前らは人の痛みとか苦しみとか分からないんだ!!!そうやってこの俺を陥れるつもりなのか!!!」
私は大きな口を開けて大絶叫した。積もり積もった鬱積や不満が大爆発した。
あと何か言ったっけ?とにかく大声を出しまくった。
私は今も昔も声が小さい。でもこの時ばかりは大声を出しまくった。キレまくった。
高岡はびっくりしたようにあっけに取られていたが反問してきた。
「だったら何故、片銀市中心の繁華街でチンピラに絡まれて殴られましたって言わないんだよ!!」
それは私が角松に殴られて顔面を負傷した時のことだ。もちろん他の悪党連中は笑って見ていただけだったし。録音もされた。
この私の顔面負傷で北村荘の住人やおばさんだけでなく大学側も心配していた。
もちろん、前園君グループにも心配をかけた。
何故、チンピラに殴られたことにしないといけないのか。
「〇〇君に頼んでコンピューターの文章を訂正してもらえばよいではないか!!」
大学でコンピューターを使った授業があった。私の打ち込んだ文章が変になっていた。
紺野の奴が嫌がらせで小細工して打ち込んだらしい。それもまた問題になった。要するにそれらの出来事は自分たちが疑われているからお前がなんとかしろと。
「俺らを貶めるつもりかあ!!」
高岡も逆上していた。そこへ飯山先生が険しい顔をして校舎からやってきた。
表で大声がするから見たら私と高岡が大声で怒鳴り合っているので乗り込んできたのだ。私は冷静さを取り戻した。
「こっちへ来い!!」
高岡は慌てて飯山先生から逃げるように去っていた。私も飯山先生に捕まったらどんなことを言われる分からない。普段白い目で軽蔑されているから後ろめたかった。
仕方がなく高岡に捕まりその場を去った。
大学の駐車場に止めてあった疋田の車に連れていかれた。
「ダッシュで逃げることないじゃん!」
疋田も呆れていた。
高岡と疋田と私。しばらく押し問答した。
私はこれから就職活動だから行かせろ!って宣言してその場を去った。
急いで大学裏手の外に出て近くのバス停でバスを待った。
ああ、私は何をやっているんだろう・・・また面倒なことに。
私は頭を抱えた。当然、今日の出来事は紺野にすぐさま報告が行くだろう。
後日どんな制裁を受けるのか?連中と鉢合わせするなんて運がないんだな・・
絶望のまま、来たバスに乗り込んだ。
片銀駅で酒を買い込んだ。会社説明会は明日ある。開催される〇〇市でビジネスホテルに泊まるから、今日はヤケ酒だ。いや今からヤケ酒だ。駅で列車を待つ間、ホームで缶ビールを飲んだ。
駅のホームに響くけたたましい発車音が空しく響いていた。
「地獄大学」30 色々あった。
大学編もパート30になった。長い時間をかけて大学でのいじめ被害をつらつらと書き連ねてきた。そろそろ大学編も終了に向けて動きたい。
思えば色々あった。高岡と知り合ったばかりに悪党連中にも目をつけられて。
屈辱的な思いはまだまだある。今、このブログを書いている現在の時点で思いだせるだけ手短に書いてゆく。
愚論荘にて高岡からヤクザキックなるものを受けた。
私は前のめりになった。すぐに起き上がると
「俺はお前と会った事を後悔している」
と高岡に向かって言った。
「そんなこと言っていいの?色々アドバイスしてあげているのにさ」
「オリエンテーションで久我と一緒に出会ったじゃねえか」
高岡は不貞腐れた。高岡のアドバイスなど
「角松に腕を折られればいい。そうすればあいつの人生をメチャクチャにできるぞw」
なもんだ。まぁ高岡も後に自転車で転倒して腕折ったんだけども。自業自得。久我君か。彼と仲良くできていれば・・・。
高岡が自転車で転倒したに奴は腕を骨折した。高岡は銭湯に行くから介助をお願いと懇願してきた。私は拒否した。紺野は私の胸倉をつかんで
「やってやれよ!」
と恫喝。高岡も
「お前は自分が良ければいいのか~頼むよ~」
って泣きを入れてきた。あの・・どの口が言うんですか?
誰もいない深夜の田舎町の道路で私は走らされた。
その後ろで低速で追いかけてきて疋田の車が激しくクラクションを鳴らして面白がる。
近所迷惑だっつううの。
大学では学部別に更にコース選択があった。2年の時だったか。
普通コース、福祉コース、環境コース(いずれも仮名)があった。
私は当時は社会福祉や環境にはあまり興味がなく普通コースを選択しようと考えていた。潮田君は福祉コースを選んでいたが、そしてあの角松は福祉コースを選んだ。
角松の激しい暴力に怯えていた私は福祉コースを選ぶのは自殺行為だった。
でも潮田君がいるではないか?私の判断力は鈍っていた。
悪党どもの脅迫と拷問により普通コースを選んでしまった。
ゼミ選択でも悪党の拷問を受けて一緒のゼミを選んでしまった。
あの時私は福祉コースを選んでいたらどうなっていただろう。
角松にさらにネチネチと絡まれていただろうか。潮田君に迷惑をかけていただろうか。
皮肉にも私は現在は福祉系の仕事についている。
ゼミの授業で私は高岡と疋田に後ろから背中を執拗に突っつかれていた。
その様子を他の学生が白けた目で見ていた。ごめん、ひどいものを見せてしまったな。
高岡と疋田のいた机は下品な落書きで真っ黒になっていた。
途中から仲良くなった前園君にも迷惑がかかった。
悪党連中からの論愚荘への呼び出しを拒否し逃げまわっていた時、
前園君の下宿先にも悪党の電話がかかってきた。siroukiiはいないか?と。
たまに授業を出席をさぼった時も前園君に悪党が詰め寄った。siroukiiはいないか?と。
前園君。不快な思いをさせてごめん。
4年になり就職活動のために私が地元に帰ってきた時も悪党からの電話に悩まされた。
既に親にいじめを受けていることがバレているために悪党からのいつ帰ってくるんだ!!の恫喝電話に私は青くなっていたのを見て親は受話器を私から奪い取り
怒鳴りつけた。
ある時、授業の出席を確認するための返事だけど
前日に悪党連中にふざけた返事をしろと強制されていた。
授業が始まる直前にも悪党連中は私に詰め寄り
「忘れていましたは通用しねえぞ。ふざけた返事よろしく頼むぜ」
と念を押してきた。
私は恥をかきたくない。どうせ実行しても後でひどい目にあうだけ。
普通の返事をした。
「角松~!!」
自らの返事をすでに終えた高岡が席を抜け出して入り口付近で待機していたが
私の普通の返事を聞いて高岡はそう叫んだ。角松を呼んでくるからな、という意味だろう。好きにしてくれ。
大学では第二外国語を学ぶことになっている。必須だ。今はどうなっているのかな。
私と高岡がまだ仲が良かったころ、高岡とともにフランス語を選択した。
別にフランスに特別な思い入れがあったわけでもなく世界的なメジャーな言語だからというわけだっただけ。ま、第二外国語はメジャーな言語が主だけれども。なんとなくだった。
これから大学入学を目指す高校生の皆さんやまだ第二外国語を選択していないという
大学生の皆さんはなんとなくではなく、興味のある国、好きな国の言語を選んでほしい。
高岡は
「フランス語をマスターしてルーブル美術館の館長と話すんだ~」
って何度かほざいていた。本気なのか冗談なのかははっきりしなかったが真顔で話していたから。私が愚かだったのはこういう妄想癖を見抜けなかったこともある。
フランス語?難しかった。そして今はすっかり忘れている。
フランス語が難しいことを潮田君に少し愚痴ったら呆れられた。
弱音を吐くべきではなかったと後悔している。
悪党連中に私の学生証を取り上げられた時に写真をはがされて馬の写真を貼り付けられたこともあった。当時の学生証は厚紙に写真を付けただけのシンプルなタイプだった。
自動車免許を取得した時、疋田の車を無理矢理運転させられた時があった。
罵声を浴びながら運転させられた。事故らなくてよかったよ。
どういういきさつか忘れてしまったが
数々のいじめ被害の実態を前園君が北村荘の住人に告白した時があった。
本当に申し訳なかった。
愚論荘でのいじめを受けている時に他の愚論荘の下宿人から
「君、いじめを受けているの?」
って話しかけられたこともあった。申し訳ない。
授業のノート取りは常に悪党連中にノートのコピーを渡していた。
コンビニのコピー機に通い詰めだったな。
まぁとりあえずはこんな所かな。本当はもっともっとある。
でも私が屈辱的な思いをしていたことは分かったと思う。
是非反面教師にしてもらいたい。そして私みたいにならないように。
次回は私がついに大爆発したことについて書いていきたい。
「地獄大学」29 悪党の家族と面会③
その夜、座敷で悪党どもと固まって寝た。私は黙って寝た。束の間の休息だった。
なぜ、私はこんなところにいるんだろう・・・・
もう何も考えまい。眠りに落ちた。
翌日、高岡家で朝食の後、千宮市内の遊園地に連れていかれた。
もちろん、絶叫マシンに乗せられることになった。
私は昔から絶叫マシンが大の苦手だった。面白い楽しいと感じる人も多いが私には理解できなかった。スリルがあるというがどこがスリルがあるというのだろう。
幽体離脱でもするかのような気持ち悪さがあるだけではないか。
案の定、ジェットコースターに乗れと命令された。私は拒否した。
紺野から罵声を浴びせ続けられた。高岡と疋田が面白がった。
満員混雑していたわけでなかったが他の客と従業員に変な目で見られるのが嫌だったから仕方なく乗ることになった。地獄の時間だった。
ガクガク振るえる私を悪党どもは面白がった。
その後、ジェットコースターだけでなく、名前は分からないがゴンドラがグルグル大きく回転するやつに乗せられた。
私が地獄の時間を過ごしている間に紺野の奴は他の女性客とくっちゃべっていた。
こんな楽しくない屈辱的な遊園地巡りをしたのは私だけではないのか。
昼もとうに過ぎた頃だったか。千宮駅前で一同解散した。
高岡はもちろんそのまま千宮駅でお見送り。
紺野と疋田は二人はそのまま車に乗りそれぞれの帰省先へ去っていった。
残った私は高速バスでまずは東京へ帰ることにした。
缶ビールと千宮市名物のおつまみを買い込んだ。
千宮市には罪はない。高岡が悪いだけで。
バスが発車する前から飲んだ。やけ酒だヤケクソだ。
高速バスの席上で缶ビールとつまみをやりながら私は千宮市を後にした。
今からふと思う。高岡家で私が本当は高岡君にいじめを受けていますと真実を暴露したらどうなっていただろうか。確かに修羅場になっていたんだろうな。
いじめから解放されただろうか。そうなったら私は大学に普通に通えただろうか。
いじめ調査とやらで教員や大学側に迷惑をかけただろうか。
もちろん高岡本人の人生も終わるが何も知らない高岡の両親や兄弟の人生も変えてしまったかもしれない。
そう、自ら泥をかぶり穏便に済ませた私が賢明だったんだと思うことにしている。