いじめと人間関係で人生狂った男のブログ

私を反面教師にせよ。青春と人生を無駄にするな。

生存報告。断捨離・準ミニマリストのすすめ

最後のブログ報告から一年近くがたったと思う。

私siroukiiは何とか生きています。ご安心ください。

幼少期から人生の大半をいじめで人間歪んで人生狂った男。

 

生涯独身が確定した男。

なんとか存在しています。

 

私はあれから悪い輩とは絡まれずに何とか生きている。

私は今、断捨離を進めている。つまりいらないモノを捨てている最中なのだ。

私が死去したら私の身を始末し墓に入れるのは私のきょうだいであろう。今のところ。

時代がもう少し進んだら行政に頼んでみるつもりだ。生涯独身者の身の振り方を相談してみるつもりだ。

生涯独身者はどうするべきか解説する本がそのうち出てくるかもしれない。

まずその前にやらなければならないことがある。

きょうだいにしろ、行政にしろ私を処分するのに手間はかけさせたくない。

だから断捨離を進めている。彼らになるべく負担はかけたくないのだ。

まず、ポイントカード。

頻繁に行く店のポイントカードを除いて全て破棄していいだろう。

どうせ期限が切れるとカードすら失効する。

頻繁に行かない店のポイントやその交換を気にしなくていいのだから。

次にクレジットカード。

私はかつて2枚のクレジットカードを所有していた。

この前、1枚は解約した。

初めてクレジットカードを持った時、ネットで色々調べた。

「カードは複数枚持つべきだ。不足に事態に備えて。色々なサービスを受けるために。

 複数の国際ブランドを分けるべき。海外旅行では当たり前だ。そして1枚は改まった   

 場所で使えるように渋い券面のプロパーカードを所有するべきだ」

と盛んにネットには書いてあったものだ。だから2枚所有した。

その頃はまだ私には希望があった。

こんな私でも間違って恋愛ができるかもしれないと希望を持っていた。

海外にだって行くかもしれないと思っていた。

しかし今は違う。海外なんてもう行かないし、結婚や恋愛すら難しい年齢だ。

基本、鉄道利用者なので飛行機は乗らない。だから空港ラウンジは使わないし。

ゴールドやプラチナ、ブラックカードなど意味ないし(そんな地位も金もない・・・)

一般カードだった。

女性や部下に対して見栄を張るような機会もない。高級レストランなど行く機会などない。そんな高級レストランが林立するような都会に住んではない。田舎暮らしだ。

一般カードで十分なのだ。これぞ!って思ったクレジットカード1枚あればいいのだ。

私の死期が近くなったり、無職になったらそのカードも解約するけどね。

私の生きているうちは現金はなくならないだろうし。

そして「紙の本」だ。

書店に行くとどうしても本を衝動買いしてしまう。

私は大学時代から本を衝動買いしてきた。私の部屋には本が乱雑に置かれていた。

何度、ブッ〇オ〇に売りに行ったのだろうか。

本の処分ほど難しいものはない。

昔からの名作、有名作家の本、今流行の本、今後自分の人生に役立ちそうな実用書。

美味しそうな料理本、そして自分の性癖を満たしてくれる本。

今は必要なくてもこれから役立つかもしれないと処分をどうしても躊躇してしまう。

こればかりはノリと勢いで売るしかないのではないか。

私は今、ライトノベルなどを読み込んでいる。

異世界転生とか人生やり直しとか、私の刺さるテーマでもあるからだ。

確かにお気に入りの作品はずっと本は所有しておくべきだが、処分するべき作品もある。

例えば長期連載中であっても自分が読んでいくうちにその作品に疑問なり違和感なりを感じる作品もあるであろう。作品中に矛盾や無理を感じるとかあるだろう。

ならばそんな作品はすぐに売りに出すべきだ。最終話まで待つ必要もない。

私も強い疑問を感じて読むのをやめて本を売りに出した作品もある。

ライトノベルに限らず疑問を持った本はすぐに売るか処分する。

そして余計な本などは買わないことだ。

そして契約ごと。

人間生きているうえで色々と契約をする。SNSなどもそうだ。

それにともなってIDだのパスワードだの管理が必要になってくる。

先程のクレジットカードもそうだ。

購入履歴のサイトだってIDパスワードが必要なのだ。

保険だってそう。膨大な書類が自宅に届く。契約内容とか営業マンにしつこく勧められた見積書とかウンザリするくらいの書類がたまるのだ。

そして「○○経済圏」というようになるべく同一企業グループで生活できるように契約ごとは同一グループ企業ですますべきだと思うのだ。

そうすれば自分自身が管理するのに楽だし、自分が亡くなった場合、残された人が自分の処分をするときに手続きが楽になるだろう。

デジタル遺産も遺族に迷惑をかけられない。見られたら恥ずかしいモノはなるべく処分するとするか。

ミニマリストにならなくてもいい。準ミニマリストになって残された人の負担を考えていきたいと思う。

 

とにかく私は今生きている。もうしばらくこのブログは残しておいてから削除したいと思う。本当に今世は酷い目にあった。ありがとうございました。

 

 

1月12日追伸

 

私は今、いじめや人間関係、若者の青春をテーマに小説を書いている。

書いていてとても充実している。

自分が若者に戻って青春をやり直しているって感じなのだ。

自らの体験をもとに登場人物に感情移入している。

某小説投稿サイトで連載している。

宣伝はしない。是非、見つけて読んで欲しいかな。

小説を書くことで自らの考えを発信し、自ら若者時代をやり直すという事を行っている。

またどこかで会いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ終了に向けて⑩ いじめは人生の殺人 

もしかしたら今回が最後の更新になる(かもしれない)。

簡単におさらいをしておくと

まず、同じ人間とばかりつるんではいけない、ということ。

学校でも職場でも。あるいは地域のコミュニティにしても。

唯一の友人が今は「いい人」だったとしてもだ。

その唯一の友人が悪く感化されてしまったり、悪の本性を現してしまったら?

貴方は逃げるのが難しくなる。緊急性を要する。

唯一の友人を唯一のグループとしても良い。

同じグループばかりつるんでいても危険だ。

一見、弁舌活発なサイコパス人間に目をつけられたら大変だ。

柄の悪い奴らがその友人と仲良くなってしまって自分もまた悪い奴らに目をかけられてしまうという悪魔のような展開。

そして友人が悪い輩と一緒になっていじめが始まるのだ。

私はそれを何度も繰り返して人間歪んで人生詰んだ。

人にとって若者時代は人生で一番楽しくて充実している時期なのだ。

そんな青春時代に殴る蹴るの暴行を食らい続けてコミュ障を起こす。

教師連中やクラスメイトからも哀れとも軽蔑ともとれる視線を浴びる。

コミュ障だから恋愛もうまくいかない、というか恋愛すら出来ない。

コミュ障の人間を好く人間は少ない。結局は口の上手い人間がモテるのだ。

コミュ障だから就職活動もうまくいかない。

コミュ障だから悪い連中から目をつけられやすい。そしていじめやたかりが始まる。

私のことだ。

中年になって若い頃に青春も謳歌できず、恋愛もできなかったという事実に絶望する。

これからの人生どうして生きようかと考える日々・・・。

まさしく「いじめは人生の殺人」なのだ。

だから人を見抜く目が必要なのだ。

同じ人間とばかりつるんでいると視野が広まらない。多様な価値観に気づけない。

色々な人間と交友関係を持つことによって視野が広まり、色々な価値観に触れることができるのだ。

「お前、最近付き合い悪いな」「○○の奴とつるみやがって」

そんなことを言おうものならアウトだ。

他にも不愉快な言動やオカシイ言動。あるかどうか要チェックだ。

そしてその友人が怪しい輩と仲良くなり始めていないか。要観察だ。

明らかに不審だと感じたら?少しづつでもいいから直ちに距離を置き始めろ。

用事を入れたり、環境を変えたり、色々手段はある。

そして逃げろ。さもないとひどい目にあうぞ。

そして他に交友関係を持つことのメリット。

仮に友人の悪の本性を見つけても、他の友人に軸足を移すことだ。

私の大学時代は最悪だったが、他の友人に軸足を移したことにより何とか生きながらえることができた。他に友人がいなかったら私は今生きていたかどうか分からない。

 

現代は携帯電話やスマートフォンが発達し、すぐに友人と連絡を取ることができる。

大事な事もう一つ。

「今、俺は○○という店にいるんだ。今すぐ来いよ」

こんな感じでいきなり呼び出す輩がいる。非常識な時間に呼び出すことが多い。

呼び出した相手にも都合がある。ゆっくりと休息を取っている最中かもしれないし、

大事な勉強や仕事をしている最中かもしれない。大切な人と会っている最中かもしれない。

相手は明日早く授業や部活、仕事があるのにも関わらずだ。輩には相手の都合を考えない。

大体、いきなり呼び出す輩って自分は明日は休みとかそんな場合が多い。

呼び出したら呼び出したで配慮をしない。長時間拘束する。

翌日の授業や部活、仕事に差し支えるということを考えない。

つまりは自己中心的なのだ。常識がないのだ。

私は社会人になって、そんな自己中心的な人間と知り合ってしまったばかりに破滅した。自分勝手で相手に対して常に無理矢理に何かをやらせるような人間だった。

サイコパスそのものだったのだ。

常識のある人間は相手の都合を考える。

相手に会いたいと思っても無理強いせず、相手のスケジュールを考え調整する。

肝に銘じてほしい。いきなり呼び出す人間とは距離を置け。縁を切れ。

貴方が学生ならクラスを俯瞰して人間を、人間関係を観察するのをお勧めする。

貴方が社会人なら職場を俯瞰して人間を、人間関係を観察するのをお勧めする。

決して噂話に熱中しろとか言っているわけではない。黙って一人で観察分析だ。

そこから何かが見えてくるはずだ。交友して良い人間、悪い人間が見えてくる。

そんな余裕はない?

分かる。でも少しづつでいい。人間や人間関係を観察してみる事。

それで貴方の人間関係に危険が及ばないのなら儲けものだ。

何か教訓を得ることができたなら儲けものだ。

 

あと、いじめの根本的解決として

いじめ加害者と被害者を「物理的に」引き離すことが唯一の解決策となる。

どちらかが転校するなどして物理的に接触を絶たないと被害者の人生が破壊される。

加害者は鬱憤晴らしや金ヅルの対象をムザムザ手放すわけがない。

いじめをやめるわけがない。加害者のしつこさは被害者でないと分からない。

地の果てまで追いかけてくる可能性も多いのだ。

仲直りということで教育現場の人間を安心させて必ず「裏でのいじめ」が激化する。

加害者の家に常に呼び出し殴る蹴るの暴力を加えるだろう。金のたかりを行うだろう。

だから転校は必要なのだ。

加害者が転校するのが理想だけど、その場合は「被害者に対する報復」が考えられる。

対処療法ではあるが被害者の転校が現実的であろうか。悔しいが。

そもそも、いじめ被害者は教師連中などによって疎まれている場合が多いのだ。

「面倒くさいことになった。○○の奴がしっかりしないから・・・上に報告しないと・・ああ面倒だ」

そんな感じだろう。

私は中学時代に刑事ドラマのような取り調べを受けた。複数の男性教師に囲まれて。

「なぜ、いじめの事実を訴えなかったんだ!!」

密室のような部屋で椅子に座らされて尋問を受け、怒鳴られた。

私は被害者なんだけど。

まあ、いじめ被害者の転校は教師連中にとっても厄介払いができて清々するだろうし。

大学時代でも酷いいじめを受けたが、やはり講師、教授にも迷惑をかけて白い目で見られた。大学側も私は厄介な存在ではあっただろうか。

私は推薦入学だった。推薦で大学へ入っておいて退学したら高校の後輩に迷惑がかかると考えて耐えに耐えた。結果、私の人間が歪んだが。

まぁ、転校がしやすいような環境作りが必要だ。

いじめ加害者のしつこさ、執念深さは被害者でないと分からない。

近隣の学校に転校しても加害者連中が転校先の正門前で待ち構えている可能性も高いのだ。

だから加害者連中が追いかけにくいような遠距離の学校に転校も考慮するべきだ。

被害者の学生が遠方の学校に通えるよう学生寮などを整備する必要がある。

寮母さんも募集するべきだ。

難しいのは分かっている。これ以上被害にあう学生さんを出したくない思いがある。

 

長々と書いてきた。一区切りできたので筆を一応置くつもりだ。

人間にとって一番楽しくて充実している若者時代に青春を謳歌できないとどうなるか?

人間歪むから。そんな人間が私siroukiiという存在なのだ。

私を反面教師にして自分や自分の大切な人を守るために何か役に立てたならこれ以上嬉しいことはない。

もう少しこのブログは残しておく。時間があったら読んで何かを感じていただければ。

私も何とか生きていく。

 

今までありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ終了に向けて⑨ ライトノベル論

このブログもあと1~2回で終了する。

いや、そんなに回数も重ねないかもしれない

壊れたスピーカーのように同じことを書く。

私、siroukiiというみじめな人生を歩んできた男の愚かな半生を白日の下にさらけ出すことにより反面教師となり、自ら教材になり、自分や自分の周りの人達を幸せにするヒントにしてほしい、と願ってきた。

自分自身も長年たまってきた鬱憤を吐き出せた。だから満足だ。

自分の書いたブログを改めて読み返してみる。

本当に惨めで情けない人生だったし、壮絶で地獄のような人生だったと。

本当に屈辱的な体験ばかりだった。

こうして私は壊れていった。歪んでしまった。

そうなってしまったのには訳がある。

人を見抜く目がなかったこと。

嫌なものは嫌だと言えない性格だったこと。

境遇を変えるべく行動する力がなかったこと。

耐えるだけが取り柄の人間だったこと。

もちろん、自分の努力不足でもある。

だからいじめを受けてしまったのかもしれない。

だからこそ読者の皆さんには私を踏み台にして幸せになってほしいと願う。

このブログも目的は果たした。

 

私は今、ライトノベル異世界モノの小説や漫画を読み込んでいる。

つい最近始めた。

ライトノベルは書店の小説コーナーではかなりの比重を占めているくらい人気だ。

私自身、現実逃避ももちろん兼ねている。生まれ変わりたい願望は強烈にある。

そして度々言及してきた小説の件。かなり概要が煮詰まってきた。

近く執筆し始める予定だ。

長く時間をかけて構想を練ってきた。小説指導本を購入し読んだ。

だから参考にしたいという理由もある。

やっぱり書籍化されている作品はどれもクオリティが高い。

書き上げた作家さんには敬意を払いたい。

小説投稿サイトで晒す以上、しっかり書き上げたいし私の過去の教訓を生かした作品を書きたい。

既に18禁小説も書いていると述べたけどその作品も私の思想が練り込まれている。

私自身が叶えられなかった性欲の発散も兼ねて。

18禁PCゲームだってヒロインをつくりあげるタイプを選んで遊んだし。

最近は小説執筆の更新が遅れ気味になっている。汗。書き上げねば。

まぁ、私は作品としては現代劇としたい。

惨めな人生からやり直そうという作品は多数あるが

作品の舞台が現代か時代劇か異世界かの三つに分かれる。これは議論があると思う。

読者視点で考えてみる。

①自分の人生が惨めだったからこそ、別世界である異世界や時代モノですっきりしてやり直したいという考え。現代だと惨めな自分と重なってしまうから。

 

②自分の人生が惨めだったからこそ、やはり現代でやり直して人生リベンジしたいという考え。

どちらの考えも間違ってはいないし、正しいと思う。

私としては②かな。だから現代劇としたい。

作家視点で考えてみる。異世界モノは登場人物を縦横無尽に動かして大活躍できる利点があるだろう。世界を自分で作ればいいんだから。ハチャメチャな働きだって可能だ。法律や法令、慣習、時代考証など度外視でいいわけで。現代や時代モノではそうはいかない。その筋の専門家や歴史家からこの描写は違いますよとクレームが来るし。登場人物の活躍範囲も異世界モノに比べれば制約される。もちろん異世界モノはその壮大な世界を一から作り上げるという膨大な作業と力量が必要だ。決して楽ではない。

時代劇は歴史に詳しくないと話にならない。

現代劇だって先程も述べた通りに法律や法令、現代の慣習を誤って描いてはならないし。

作家さんには頭が下がる。

小説投稿サイトが存在しなかった時代の作家は大変だったろう。

出版社に脚を運んで編集者に読んでもらって没を貰うことも多かったはずで。

 

とにかくこのブログが終了しても私の苦い経験を発信する活動は続くのだ。

まだ閉鎖はしません。私の情けない過去を見て反面教師としてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑感

私は外出が好きだ。モテない男にとってはいい憂さ晴らしなのかもしれない。

普通の人なら彼女や彼氏、配偶者とデートするんだろうけど。

昨日の日曜日でも鉄道を利用して近くの街にふらりと出かけた。

自宅からバスを利用しても良かったが自家用車を利用して最寄りの駅前の駐車場に車を停めた。もちろん有料駐車場だ。

私は公共交通機関をなるべく利用しているが駐車場利用もまた地域の公共物を利用していることになるのでOKとしている。

物価の高騰でガソリン代も馬鹿にならない。

私は何を思ったのか、駅からタクシーにて某駅まで利用した。

地方なので列車の本数がない。だからであろうか。

私はタクシーも時々利用する。公共交通機関だからね。

利用してあげるとさすがに運転手の方は嬉しそうである。

不景気で利用客も減っているのだろうし。

タクシー運転手は流石にプロだ。なるべく早く目的地に着くように手際よく裏道を通ってくれる。

私はタクシーではなるべくお釣りは頂かないようにしている。恥ずかしながら最近始めたことだ。目的地まで安全に運行してくれている。お礼の意味を込めて少々のお釣りなど気にせず、支払っている。

その某駅から鉄道を利用して目的地に着く。さすがに大きな街だ。

街には美男美女が大勢いる。青春を謳歌している若者が沢山歩いている。

かわいい女性も沢山いる。

若い頃や少し前まではその光景が苦しくて仕方がなかった。

何故、私に彼女ができないんだ・・・と。

当時は焦って女性に声をかけて無視されたり渋々応答してくれたりとか・・

ナンパ師みたいに美味しい思いは全く出来なかった。

フラフラと地蔵のように街を彷徨っていたっけ。

そして絶望を感じたまま帰宅するというパターンだった。

今も苦しくないのか?と言われれば嘘になる。

でも昔ほどではない。もう諦めているからかな。

有名スーパーに入る。お目当ての調味料はないかと探した。

残念ながらなかった。別のことでふと寂しくなった。

「私は次の人生(来世)では必ず楽しい人生になるのかな?」

と。

十代の頃から恋愛をして、二十代で好みのタイプの女性と知り合って交際し結婚する。

仕事もプライベートも順調。もちろん、いじめなど絶対にあわずに人間関係も良好。

公私ともに充実。そして順調に年を重ねる・・・。

現世でこれだけ苦しんだんだ。

来世では楽しい人生が待っているよな。

もちろん、現世でもカルマを積んでしまったかもしれない。知らず知らず人を傷つけてしまったかもしれない。しかし・・・。

もちろん、絶対に自〇はしない。そんな勇気はない。

帰りは新幹線を短い距離だが利用した。

なるべく公共交通機関を利用しよう。地域のために。私の生き甲斐だ。

いつもならビールなど酒とつまみを楽しむのだけど途中まで車なので酒は飲まなかった。

飲酒運転は厳禁だ。

今日はここまで。

 

 

 

 

ブログ終了に向けて⑧ 占い論

あけましておめでとうございます。(今更だが)

ブログの過去記事を読み返してみると改めて思う。

異常な連中に絡まれ続けて壮絶な体験をしてきたと。

この体験は糧になる(わけないか)。

 

今日のおさらい。

私はずっといじめを受けてきた閉塞感から占いに嵌ってきた。

ひたすらいじめを受けるという、どうにもならない状況を占いによって打開しようとした。

初詣で必ず買ってきた暦本を読み込んで占いや風水、方位などに興味を持った。

毎年、暦本を買ってきては方位やら運勢やらを調べた。

今年の暦本も一応は購入した。

多少ではあるが占いや風水に詳しくなった。

方位(気学方位・奇門遁甲)、家相、地相、墓相、印相、九星、姓名判断・・・

姓名判断で私の名前の画数が悪いと愚痴をこぼして親に叱られたこともあった。

占いや方位の本を買いまくった。

私の若い時は旅行に行きまくった。現実逃避を兼ねた開運を祈って。

まずは気学方位で。

旅行先ではそれぞれの方位に合った行動とやらをやりまくった。

温泉にのぼせる直前まで長湯した。

で、開運したのだろうか?女性と出会いはあったのだろうか?

ノーである。

むしろ、旅行先で財布を取られるトラブルに見舞われた。

開運した実感などまるでなかった。

やがて気学方位は迷信との結論に達した。

そして気学方位とはさらに難しい奇門遁甲で実践した。

方位別に〇✖△で示された分かりやすく書かれた書籍で方位を割り出した。

この時間帯でこの方位で・・と。

旅行にも行ったし、15キロの距離を汗だくになって歩いた。

外出するにも奇門遁甲を応用した。

で、開運したのか?

ノーである。

今では気休めのつもりでしかやっていない。たぶん迷信なんだろうけど。

不運に見舞われないように活用?している。

何かにすがりつきたかったのかもしれない。

そう。

私は占いだの方位だのよりも先にいじめを回避するとか、人を見抜くとか、悪い奴らに舐められないようにするべきだったのだ。努力が足りなかったのだ。

若い頃、相談しに行った占い師からはボロクソに言われた。貶された。

情けない。当時はとても悔しかったが仕方がない。

後悔先に立たず。

この手の話になるとどうしても説教臭くなってしまう。私自身後ろめたい。

わたしは馬鹿だ。

 

 

 

 

 

大晦日と蕎麦

2022年、時々ブログを更新してきたけれど、やっとこのブログを閉鎖することを決心した。いつまでもウダウダと書いているわけにはいかない。

私の訴えたいことは何度も申し上げている通り、若者らに友人関係に気をつけて決していじめにあってはならないということだった。

友人は複数作れ、特定の人間ばかりつきあっていると危険だ、その唯一の友人が悪く感化されたり、本性を現したらもうジエンドだと。

友人選びを間違えると下手すれば人生を棒に振ると。私みたいに。

特定の友人ばかり付き合っていると視野も広まらない。

色々な人間がいると感じ取ることができない。

人間観察を怠るな、友人の言動や背後までリサーチせよと。

そして自分自身の惨めで情けない半生をツラツラと書き連ねてきた。

反面教師にしてほしいことと、人生を歩むうえでヒントに是非してほしいと。

 

もちろん、すぐには閉鎖しない。書きたいことを書いたらしばらくは放置する。

その間、本ブログを読んでいただければ幸いだ。

 

今日は大晦日。といえばやはり年越し蕎麦だろう。

私は蕎麦が大好きだ。若き日に東京の老舗蕎麦屋を何件も回っていたくらいだ。

蕎麦と一緒に酒も頼んだ。江戸蕎麦の粋な楽しみ方だ。

もちろん、地元の蕎麦屋も何件も回った。酒もセットだ。

そして駅そばも大好きだ。

どこの駅そばも好きだけど小田急線沿線の箱根そばが一番のお気に入りかな。

関東に行った時には立ち寄っている。

私は大晦日の年越し蕎麦はさぞかし蕎麦屋に行くと思われるだろう。

でも、その日はただでさえ忙しい蕎麦屋さんだ。

遠慮している。

年越し蕎麦は例年、コンビニの蕎麦かカップ麺の蕎麦、もしくは乾麺の蕎麦にお世話になっている。美味しい。

真の蕎麦好きはコンビニ蕎麦やカップ蕎麦、乾麺蕎麦も愛してこそだ。

今日も仕事だった。コンビニのとろろそばを食した。

酒が飲めないのが残念。

 

とにかく、今年はお世話になりました。閉鎖するまでは来年も少しはブログを更新したいとは思うけどね。

 

 

 

 

ブログ終了に向けて⑦ 大学論

「目的意識もないのに大学なんて行かないもん」

刺さる言葉だった。忘れられない。

私の大学時代に中学の同窓会が開催された。

その時に同窓生から今は何しているの?って聞かれた時、私は大学へ行っていると答えた。その場にいた他の同窓生女子がつぶやいた言葉だった。はっきりと聞こえた。

事実その同窓会の直後から私に対する悪党のいじめが本格化したのだった。

本当に惨めだった。

目的意識もなく大学へ進学し、高い授業料を払っていじめを食らう。

日々殴られ、金取られて、屈辱的な踊りを踊らされて、その様子を録音されて。

更には中高の卒業アルバムを持ってくるように強要されて。

その卒業アルバムはグチャグチャにされて。

週一は明け方まで街を彷徨う羽目になって。

顔面負傷する羽目になって。皆からドン引きされて。

先生方からも軽蔑される羽目になって。

若者のくせに恋愛もできず。いじめられていて恋愛?無理なのだ。

そのくせ、ある女子学生の脚を見て欲情し。(あほか)

そしてノイローゼ状態で卒業した。退学する勇気もなく。

推薦入学だったから退学なんかして後輩に迷惑をかける訳にもいかず。

うまい言い訳なのかな。

本当に私はクソ野郎だったのだ。

大学生って知的な若者で大学はアカデミックな場所ではなかったのか?

 

高校の同級生で同じ大学へ入学した潮田君(仮名)は既に結婚しお子さんは大きくなっている。なんだこの違いは。

毎年、年賀状をやり取りしていたが前回の正月から彼に年賀状を出していない。

今度の正月も年賀状は彼には出さないつもりだ。

潮田君にカッコ悪いところは見せたくないから。ゴメン、潮田君。

もう彼とは一生会わないだろう。万が一、会ってしまったら私を罵ってほしい。

出来る事なら私を殴ってほしい。

 

「大学生が偉いのか」

「大学生だったら英語で百をなんて言う?大学生なら分かるだろ?」

「お前の大学よりも近くにある〇〇大学の方が優秀なんだよ」

大学時代、バイト先で実際に複数の職場のバイトの同僚から言われた言葉だ。

大学生であることを威張ったりした覚えはないが・・・。

でも彼らに反論できなかった。ろくな大学生活を送っていなかったからだ。

悔しかったが耐えた。

 

「大学出がなんだ~。高卒で悪かったな~こっちは大変だったんだよ」

卒業直後、両親の寝室から聞こえた母親の愚痴。

もう余計なことは言わない。ただただ惨めなだけだ。

大学なんて行かなければよかった。今は本当にそう思う。

ああ、そんなことを言えば中学時代の担任の小田先生(仮名)から激怒されていたかもな。

小田先生はその学校に入ったからには全力で頑張らなければならない、その学校に入れなかった者に申し訳ないだろ、という考えだった。

その通りだ。これ以上何も言えまい。

 

高校を卒業する頃、高校のパンの購買のおばさんから励ましの言葉を受けた。

大学では頑張りさないと。

パンの購買でパシリに使われていた私を心配してくれたのだった。

その購買のおばさんの期待を裏切ってしまったのだ。

まさかいじめ倒されていました、なんて言えまい。

おばさんは今は何をしているのだろうか。

 

来世があるのなら私は学校はどうすればいいのだろうか。

来世ではスクールカーストの上位に必ず入ってやる。

来世では大学進学は今みたいに一般的になっているのだろうか。

それとも一部の限られたエリートのみが進学できる仕組みになっているのだろうか。

来世があるなら、大学へ進学するとしたら私は是非、目的意識を持って大学進学をしたい。もちろん、高校や専門学校の場合でも。

もちろん、人間関係には最大限の注意を払い、悪い輩を見抜いて近づかない。二度といじめにはあうもんか。もちろん、いじめ加害者には絶対にならない。青春を謳歌したい。恋愛もしたい。好みのタイプの恋人も作りたい。その恋人と卒業したらすぐに結婚したい。そして終生、人生を共にしたい。

(もちろん、自〇はしないよ。絶対)

 

私が大学へ進学した目的意識?耳が痛いけど。

あるとしたらそれは

「大学で青春時代を満喫したい。今までがみじめだったから」

だろう。事実,過去の時代の私もいじめでひどい目にあった。

中学時代なんて地獄だったし顔面負傷。学校中で問題になり、親にも迷惑かけた。

被害者なのに私は刑事ドラマみたいな尋問を受け。

高校では馬鹿にされ。

だからこそ大学という新天地で青春を謳歌したかった。

青春を求めていた。それこそが目的意識だったのだ。

それすらも露と消えた。青春どころか地獄だった。

若者時代は見事につぶれた。ああアホだ。

 

そして中年の今に至る。若者時代に青春を謳歌出来なかった者は後の人生を歪ませることになる。

あるヒモ・ナンパ師が著書で書いていた。

青春期に恋愛や性体験ができなかった者は大きな心の傷を残すと。

事実そのナンパ師は青春期に異性に縁がなく、大人になって無軌道なヒモ・ナンパ師になってしまった。

私は恋愛や性行為に取り柄がないためにナンパ師とかにはなれなかったが、結構歪んでるのかもしれないな。

悪循環は悪循環を呼ぶ。

 

悪いことは言わない。この記事を見た読者の方へ。

若者なら、絶対に人間関係に気をつけて青春を謳歌してほしい。

親御さんや親類の方なら、自分を慕ってくれている若者には人間関係に是非気をつけてと忠告してほしい。青春を謳歌する手伝いをしてほしい。

交友関係を誤れば下手すれば人生狂うよ。

 

私みたいにならないように。